「もうちょっとやりたかったなと、そういう思いです」
日米通算134勝128セーブ104ホールド。「トリプル100」という前人未到の記録を打ち立てた上原浩治(44)は5月、涙の引退会見で、自らの野球人生にピリオドを打った。
そんな会見の様子を、複雑な心境で見ていた人がいる。
「上原選手らしい会見でした。ただ、まだやれると思っていたので寂しいですね」
そう語るのは、上原のレッドソックス・カブス時代の通訳を担当し、現在は海外研修の支援などをするアレックスソリューションズの松本重誠さん(44)だ。
アメリカへ渡った上原を5年間支えた松本さんが、当時の思いを語ってくれた。
* * *
松本さんは2012年、当時ダイヤモンドバックスに所属していた斎藤隆の担当として、通訳のキャリアをスタートさせた。しかし、けがなどの影響で斎藤はこの年限りで日本へ帰国。そんな時、当時日本人選手のマネジメントを担っていた会社から、「レッドソックスの田沢純一選手の通訳をやってくれないか」と声がかかった。すると同年、偶然にもレッドソックスに上原が加入。松本さんは2人の担当になった。
「上原選手が巨人にいた時、私はアメリカにいたのですが、偉大な選手だということは知っていました。彼を初めて生で見たのは06年のWBC準決勝で、アメリカ・サンディエゴでの韓国戦でした。スタンドでみて、『すごい選手だな』と思いました。まさかそんな人の通訳になれるなんて思ってもいませんでした」
13年のキャンプイン初日、松本さんは上原と初めて対面した。その時のことは今でも鮮明に覚えている。
「とにかく緊張しました。あいさつすると、上原選手は『タメなんやからタメ口でええやろ』ってフランクに話してくれて。最初は違和感がありましたが、少しずつ慣れて、私は彼のことを『浩治』、彼は私のことを『CJ』(「しげなり」の「しげ」と発音が似ていることから。アメリカでは呼びやすいニックネームを自ら付ける人が多い)と呼び合うようになりました」