相手が謝ったら許す――。家庭でも学校でも教えられてきたこの“ルール”には、わずかな例外があるという。カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く本連載、今回は「許しの強要」について解説する。
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先日、ニュース番組を見ていたら、こんなエピソードが紹介されていました。ある学校で起きた子ども同士のトラブルを先生が安易に握手をさせて“解決”してしまい、かえっていじめがひどくなった。いじめを受けた人は二十歳を過ぎてもそのときのダメージが残っている、ということでした。
周りに聞いてみると、主に小学生時代に、先生に握手させられた経験をした人が思いのほか多くいました。思い起こせば私も似たような経験があります。
親友と喧嘩したのですが、先生がそれぞれの言い分と、自分の反省点を言わせて、最後に先生に促されて握手をしました。双方に謝らせたかどうかは記憶にないのですが、子どもながらに、先生の仕切りに「ケッ」と思っていました。それでも、自分の行動も大人げなかったと少しは思っていたので、いつも仲良くしてくれている彼に悪かったな、という気持ちはありましたし、仲良しだった彼とこれからずっと仲たがいし続けることになったらどうしようという気持ちもありました。だからこそ握手をして仲直りできてよかった、と思ったのを思い出しました。
そんなわけで、私はそのことを引きずることはなかったのですが、このニュースを見て、ちょっと考えてしまいました。仮に、私が「自分の行動も大人げなかった」と思わないような状況だったら、どうなっていたのでしょう。
ただでさえ、担任の仕切りに「ケッ」と思っているわけですから、無理やり自己批判させられた、無理やり握手させられて、解決を押し付けられた、と感じたとしてもおかしくはありません。
もちろん、学校の先生を非難したいわけではありません。一つ一つの問題をきちんと解決するというのは、カウンセラーとしてどっぷり問題に関わっている私たちにとっても、非常に労力と時間がかかることです。担任となれば1クラス40人もの生徒を抱える先生が、生徒たちの間の一つ一つの問題を丁寧に解決していくことは、事実上不可能でしょう。