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平成も残すところ数日となった。すでに「令和」という雑誌が創刊されたり、社名を改称する会社があったり、曲を発表して話題になったグループがいたりと、話題に事欠かない。そういう意味でも、元号というのはもっとも使われやすいものの代表格といえるだろう。
【仁和寺の庭園からのぞむ五重の塔に上野寛永寺の諸堂・清水観音寺堂はこちら】
神社やお寺にも元号を冠したものが数多くある。明治神宮は明治天皇が祭られているところだから当然だとして、明治寺や大正寺などは各地に存在しているが、天皇陛下とは直接の関係はない。これらのほとんどは、創建あるいは合併、再興された時代の元号をいただいたというものがほとんどである。
●名前から創建の古さがわかるお寺
近年では、元号を冠することに障害はないが、過去には元号を寺名に持つことは簡単に許可されなかった。最初に朝廷から元号を寺名として使用することが許可されたのは、おそらく延暦寺であろう。
もちろん、現在までに続く寺社には、白雉神社(白雉/650~654年)、大宝寺(大宝/701~704年)、慶雲寺(慶雲/704~708年)、和銅寺(和銅/708~715年)といった名前があるが、いずれも後世に「その時代からあった社」の証として、あるいは元号とは関係なく名付けられたと考えられているところばかりである。
一方、延暦寺はご存じの通り、平安時代の僧・最澄が開いた天台宗の本山である。最澄は空海(弘法大師)とともに唐に留学生として渡り、帰国後は比叡山に建立していた一乗止観院(のちの延暦寺根本中堂)で多くの僧たちを育てたが、「延暦寺」の名を朝廷から受けたのは最澄の死後で、元号で言えば2つ先の弘仁時代になってからのことである。
●平安時代、皇室ゆかりのお寺に元号が
昔は天皇の即位以外にも「珍しいものが献上された」「病気が蔓延した」などの理由から、改元が繰り返されていたため、期間は長くて十数年、多くは4~5年で新しい元号へと変わっていた。そんな時代でも元号を冠したお寺は多く誕生することなく、天皇や時の為政者が関係したお寺だけに許されてきた特権のようなものだったのだろう。
文徳天皇の創建した嘉祥寺、この寺を親王のために分けた貞観寺、御室御所とも呼ばれるくらいに皇室とゆかりの深い仁和寺などは、平安時代初期に建立されたものであるが今も大寺として京都の町に残っている。