ちなみに、あのCMでの役名は「綾小路さゆり」だ。同世代の「美人女優」の典型である吉永小百合をもじったものだろう。映画化もされたドラマ『夢千代日記』において対照的な芸者の役で共演したように、樹木さんは吉永とは対極に居続けることで、独自の魅力を放ち、美人には希薄な親しみやすさを獲得した。いわば、異形性と庶民性とをあわせ持つ稀有な存在だったわけだ。

 さらに、彼女は「知的な不良」でもあった。そうでなければ、芸名をオークションに出すようなことも、ましてや内田裕也さんと添い遂げるようなこともできなかっただろう。亡くなる10年前には、インタビューの名手とされる吉田豪に対し「私のことを本人以上によく知っていると聞いたけど」などと挑発していた。言葉を使ったケンカができるのも、知的な不良ならではである。

 前出のビートたけしもそうだが、こういうタイプに大衆は弱い。文学者では、太宰治などもこのタイプだ。こちらも、名言集が売れる人である。そういえば、最晩年の樹木さんは「“死ぬ死ぬ詐欺”って言われてますよ」と、自虐的な発言もしていた。自殺未遂を繰り返した太宰とは違うかたちながら、彼女の場合もそこに死の影がちらつくことで、その言葉がいっそう力を持つこととなったわけだ。

 また、太宰は映画好きで「弱者の糧」とも呼んでいた。樹木さんと同時代に生きていたら、ファンになっていたかもしれない。というのも、彼女は太宰のようなダメ男(?)がいかにも喜びそうなこんな言葉も残したからだ。

「私は人間でも一回、ダメになった人が好きなんですね」

 これは冒頭で触れた「あの人」の名言にも通じるものだろう。

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」

 こうしてみると、樹木さんが今「相田みつを」化しているのも当然のような気がしてくる。ただ、本人がもしこの状況を知ったら、違和感を抱くのではないか。前出の吉田によるインタビューで、彼女は死んだ人のことを悪く言えない空気について「『本当はそんなじゃなかったでしょ!』って思うんだけど」と異議を唱えていたからだ。

 さらに、亡くなる前年には「老い」や「死」についての取材が殺到していることに疑問を呈し、こんな発言も。

「えっ、私の話で救われる人がいるって? それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」

 そこで、彼女の代わりにこんな提案をしてみたい。それこそ依存症みたいに、救いを求めている人は、神格化するのをやめてみてはどうだろう。そのほうがむしろ、人間らしく生き抜いた樹木希林さんがより身近に感じられる。その言葉も、いっそう心に響くはずである。(宝泉薫

■宝泉薫(ほうせん・かおる)1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』、『平成「一発屋」見聞録』、エフ=宝泉薫名義の『痩せ姫 生きづらさの果てに』など。