●自らピン芸人を名乗り、R-1グランプリに出場、単独ライブも開催

 勤めていた商社が廃業してしまい、自分で農産物輸入のビジネスを始めたのが38歳のときだった。その仕事が軌道に乗り始めた45歳で、山本さんは一念発起して芸人として仕事を開始する。

「トークの最後にお客さんも一緒になってサンバを踊る。ダンスとMCを中心にしたような内容ですね。吉本時代のつてをたどって、年2、3回、舞台に立つようになりました」

 2014年にはR-1グランプリに出場、さらに単独ライブも開催した。

「お客さんと一緒になって最後は笑って踊って頂く、下手くそでも楽しんで元気になってもらえるライブを目指しています!」と、山本さんは芸人“タックン”として舞台に挑戦し続ける。

 さらに2015年の年末には、香川県の遊園地レオマワールドの年越しライブで、6時間にわたってたった1人でMCを担当。

「そんな長時間、台本がいっさいなしでMCができるなんて、すごい、と主催者サイドからほめられました。僕はもともとおしゃべりなんで、しゃべるのは苦やないんです。昔、吉本時代に芸人の人たちと交流していたのが役に立ちましたね」

●芸人と社長業のバランスを取りながら「社長芸人」として活躍

 ふだんはニュージーランドと日本を往復し、グローバルに活躍する敏腕の若手社長。だが、休日になると、着ぐるみを着たり、派手な衣装を身にまとって、呼ばれた場所にどこにでも出かけて行く。

「芸人としてのギャラは一回500円とか(笑)。年間でも10万円に行かないくらいです。でも、社長をやりながら芸人もやるというバランスが、今の僕にはちょうどいい。何かをやりながら、別のこともやるという“2足わらじ”の生き方が、僕には合っているんでしょうね」

「社長芸人」の肩書が珍しがられて、ローカルのラジオ番組に出演することもある。あくまでも本業はビジネスだが、プロの芸人として、プライドを持って仕事に当たっているのがわかる。

●各国政府機関からお墨付き。企業の海外進出支援の最前線に

 一方、38歳で貿易会社を設立。本格的にニュージーランドとのビジネスを開始した山本さんは、持ち前のガッツで業績をどんどんあげていく。

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ニュージーランドの農家の間で“山本ファン”が増えた理由とは?