戦力を整備し、長嶋巨人と戦う。しかし、根本は1999年のシーズン中に急逝。王ダイエーの日本一も、待望の「ON決戦」の実現も見届けることなく、この世を去っていた。この『20世紀最後の日本シリーズ』は根本だけでなく、日本野球界の悲願であり、夢の対決でもあった。
ダイエーの連覇が決まった直後だった。ON決戦が実現する。もう、報道はそれ一色だった。私もそのネタばかりを追いかけなければならなかった。優勝した直後、長嶋から王に電話があったという情報が入ってきた。
「電話があったんですか?」
王に確かめると「うん、あったよ」。
もちろん、聞きたかったのはその中身だ。
「どんな話だったんですか?」
これには、さすがの王もうんざりした表情になった。
「うーん、そこまでは……ね」
そう言いながらこう続けた。
「ONには、ONにしか分からないことがあるんだよ」
そのシリーズは、ダイエー球団の不手際で日本シリーズの日程中に外部団体のイベントを本拠地の福岡ドーム(当時)に組み込んでいた。その日程が動かせず、東京ドームでの2戦後、移動日なしで第3戦を福岡で行うと、2日間の休養日を挟み、第4戦を行うという変則日程となった。その責任を問われ、ダイエー球団は制裁金3000万円を科された。
しかし、そんな騒動の中でも、王も長嶋も事を荒立てることもなければ、日程への不満を口にすることもなかった。そこが2人の偉大さであり、そうした問題すら吹き飛ばしてしまうだけの存在感があった。
王ダイエーは1戦目、2戦目と連勝しながら、その後は4連敗。2年連続の日本一を逃した。その瞬間、王は東京ドームの三塁側ベンチ奥へ、さっと姿を消した。長嶋の胴上げの際、王はそのシーンを見ていない。
悔しいはずだ。悔しいから、見たくない。
王の心中をそう推察して書いた覚えがある。しかし、時が経って思うのは、仮にあのとき、長嶋の胴上げを王がベンチでじっと見つめていれば、その“見ている王”というのもクローズアップされる。