渡邉さんは、ある皇族関係者と事前に暗号を決め公衆電話でやり取りしていたと明かす。

「(女官を務める)姉はでかけました」

 電話口でそう言われたら、陛下が憂慮すべき状態となり、関係者が揃って皇居へ向かっている状況を意味していたという。

 崩御の速報を受け、各局とも番組やCMなど予定をすべて変更し、渡邉さんが指揮を執った日本テレビ昭和天皇の歩みを振り返る特別番組を40時間以上、約2日間に渡って放送。以降は新天皇と新皇太子のこれまでを紹介する特番を1日通して放送したという。

 崩御した当日の午後には閣議で新元号が「平成」に決まり、新しい時代の1月8日がスタート。徐々にテレビも明るい話題を報じるようになる。

「新皇太子の特番では、銀座に行きたいという皇太子(今上天皇)を、学友が連れ出した『銀座脱出事件』や軽井沢のテニスコートでの美智子さまとの出会い、もちろんご成婚パレードのことも取り上げて、新しい時代を感じさせるような番組にしました。特に最後は、いまの皇太子が初めてオーケストラでビオラを演奏した映像を流したのですが、演目はバッハのロ短調ミサでした。お祖父様へのお悔やみになったのではと自負しています」

 一方、皇室では崩御後、喪儀に関連する行事が続くことになる。その大変さについて今上天皇は2016年、国民に向けたビデオメッセージでこのように語っていた。

<天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません>

 渡邉さんはこう指摘する。

「ご遺体が腐敗したり、白骨化したりする変化を確認しながら死者の魂を慰める殯は、殯宮祗候と呼ばれ、皇族方が交代でそばにいなければなりません。そのような苦労を次の世代にはさせたくないという思いから、火葬を希望されたのだと思います。守るべきものは守りながら、変わり続ける社会に合う形に変えていく。その姿勢は、昭和天皇の御尊骸が皇居から新宿御苑に運ばれたときに今上天皇が格調高く読み上げた御誄(おんるい)からも伝わりました。それまでは文語体だったので取材する記者たちも内容を理解するのが難しかったのですが、わかりやすい口語体になり、悲しみが国民によく伝わるもので、歴史を塗り替えたと感じました」

 国民に伝わるように語りかける。平成最後の誕生日の記者会見での姿勢は、即位前から貫いてきたものかもしれない。

 秋篠宮さまは天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」が宗教色が強いものだとして公費支出に疑義を呈し、宮中の「神嘉殿(しんかでん)」を活用して費用を抑え、それを天皇家の私費で賄うという代替案を示しているという。どんなお代替わりになるのだろうか。(AERA dot.編集部・金城珠代)