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2020年7月に開催される東京オリンピック。1964年の東京大会以来、日本で二度目となる夏季オリンピックの開催までには、56年の時間を要した。実は、その間にも、名古屋、大阪などの各都市が何度か開催に名乗りを上げていた。招致の立役者たちが、オリンピックを通して日本をどう変革しようとしていたのかを描いたノンフィクション『東京は燃えたか』で紹介した、16年大会東京招致失敗の舞台裏とは?
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1964年以来、52年ぶりとなる2016年大会に正式に名乗りを上げた東京。世界の7都市が立候補したが、東京、マドリード、シカゴ、リオデジャネイロの4都市が第一次選考を突破した。
開催都市を決定するIOC総会は09年10月2日、デンマークのコペンハーゲンで開かれた。日本では8月30日の総選挙で民主党が大勝し、政権交代が実現した。9月16日に鳩山由紀夫内閣が発足したばかりだった。
鳩山は22日から訪米し、国際連合の総会で演説を行った。26日に帰国し、5日後の10月1日に夫人同伴でコペンハーゲンに旅立った。
日本からは石原、竹田、森、自民党の遠藤利明、文科副大臣だった民主党の鈴木寛らが参加した。鈴木が記憶をたどる。
「鳩山さんの出席は、首相補佐官だった中山義活さんに説得してもらった。私は先乗りして、石原さんと一緒にデンマーク女王主催の宮殿での昼食会に出た。シカゴ応援のミッシェル・オバマ大統領夫人、リオデジャネイロ招致のブラジル大統領、マドリード招致のスペイン皇太子らがいた」
鳩山は石原や竹田らとともに、最終プレゼンテーションに登場した。だが、招致活動で特別の動きを示した形跡はない。政権交代の直後で、鳩山も民主党政権もオリンピックに注力する余裕はなかったようだ。
コペンハーゲン総会での投票で、最初にシカゴが脱落した。東京は2回目の投票で敗退する。最終の3回目の投票で、リオデジャネイロがマドリードを破って「南米初のオリンピック」を手にした。