深い緑色が鮮やかな“インスタ映え”する見た目に、もちもちとした食感、漂うワカメの香り。本州と四国を結ぶ兵庫県・淡路島沿岸で採れたワカメを練り込んだ井上商店(兵庫県南あわじ市)の「わかめ麺」だ。その開発の裏には、世界初のインスタントラーメン、日清食品の「チキンラーメン」発売で涙をのんだ親子3代、60年の苦闘があった――。
今や世界中で販売され、開発した日清食品の創業者夫妻がNHK連続テレビ小説「まんぷく」のモデルにもなったチキンラーメンが世に出たのは、1958年のこと。お湯をかけて2分で食べられる(当時)という手軽さからたちまち人気となり、高度経済成長の波に乗って爆発的に売れた。
しかし、チキンラーメンバカ売れの影で、涙をのんだ食品会社があったことは、あまり知られていない。井上商店の2代目、井上武男が、昭和30年代初めに開発した冷凍即席ラーメンもその一つだ。
「祖父の武男はアイデアマンでした」と語るのは、同社の4代目で現社長、井上賀夫(よしお)さん(59)。同社は1901(明治34)年に創業。うどんの販売や農業、昭和10年代からはアイスキャンデーの販売を始めるなどして財を成した。
太平洋戦争で招集された武男だったが、戦後、無事に帰還を果たし、再びうどんとアイスキャンデーの製造を開始。春から秋まではアイスキャンデー、秋から翌春まではうどんを作った。アイスキャンデーは飛ぶように売れ、多い時は1日約3000本を販売したという。
ある時、武男がゆでたうどんを凍らせてみたところ、解凍後もゆでたての食感が残り味もおいしかった。しかし、うどんはゆでるのに時間がかかる。そこで目を付けたのが、当時人気があった中華そばだ。
中華そばなら、うどんよりも麺が細く、ゆで時間が短い。せいろに枠を入れて麺を凍らせ、豚肉や揚げ、ネギなどを入れたスープも作り、冷凍即席ラーメンとして売り出した。チキンラーメンが世に出る1、2年ほど前のことだ。