そのひとつに、次のような教訓があります。
「子曰わく、孰(た)れか微生高(びせいこう)を直(なお)しと謂(い)うや。或(あ)るひと醯(す)を乞(こ)う。諸(こ)れを其の鄰(とな)りに乞うて、而(しこ)うして之(こ)れに与(あと)う」(公冶長第五)
微生高という人は、人から何か頼まれると、決して断れない「直」な人だと、みんなからほめられていました。ある人が、微生高のところに「酢を貸してください」とお願いに行きました。でも、微生高の家も酢がなく、断れないので隣の家に酢を借りに行って渡したという話です。
これは、「人間は善意をもって生きるべきであるが、無理に遂行しようとすれば虚偽が生まれる」という重要な教えを意味しているのです。
相談者さんは微生高の振る舞いをどう思いますか? ランドセルを酢に置き換えて考えてみましょう。まず、5歳の息子さんには、9万円する老舗工房のランドセルの価値はわかりませんから、微生高の話でいう「酢を借りに行く」、つまり、そのランドセルを欲しいとさえ思っていないでしょう。その年齢の子どもが選べるのはせいぜい好きな色くらいです。
「一生に一度の記念品」として9万円もするランドセルを与えたいという「欲」は、親のほうにあるのです。もし、高価なランドセルを子どもに与える経済的余裕があればまったく問題はありません。しかし、夫婦で意見が分かれたまま、無理して買い与えるのであれば、微生高が酢を借りに来た人に、「いや、うちには今ありません」と断れないのと同じく、正直でない虚偽の優しさと言えるのではないでしょうか。
「一生に一度だから」という価値観にはきりがありませんし、時として判断力を鈍らせます。今日の、今の一瞬も「一生に一度」しかないのですよ。また、相談者さんは「愛する息子に売れ残りの商品を6年間身に着けさせるのも可哀想」と主張がブレておられるようですが、「売れ残っているものがあることこそありがたい」と思えませんか? ランドセルを買えない人たちもたくさんいるのです。