最終年の3年目に掲げた目標は、「自分で進路を決定する」という「進路実現」。生徒に「もう学校はなくなるんだから、相談するところがなくなるんだよ。自分の進路は自分で決めていこう」と、はっぱをかけた。

 すると、ここまで栗原先生と一緒にやってきた先生たちが動いた。4月1日から3月31日までの1年間の日付が入ったカレンダーが、教室一面に張り巡らされた。日付の要所要所に、「自分の思いを300字で書きましょう」「面接の練習をしましょう」と、生徒への指示が書き込んである。卒業式の日付にはクラス全員の名前が記されていた。誰一人取りこぼさずに卒業させるという、先生たちの意志の表れだった。

「着任した当初、先生たちはあきらめていました。生徒の自己肯定感も低かったけれども、一人ひとりの先生と面談すると、ほぼ全員が『できれば早く異動したい』と言いました。学校全体がマイナスに引っぱられて、どんよりとした空気が漂っていました。けれど3年間で雰囲気はすっかり変わりました」

 17.6%だった2003年度中退率(年度当初の在籍者数に対する年度内の退学者数の割合)は、2004年度8.4%、2005年度0.86%と激減。2007年3月4日の閉校式には地元の人も大勢集まった。東京都教育委員会から学校表彰を受けるという、おまけまで付いた。

 生徒全員の進路も決まり、栗原先生が3年間言い続けた「水元高校最後の卒業生として誇りを持ち、輝いて閉じよう」という、言葉通りの幕引きだった。

(文/柿崎明子)

○栗原卯田子/東京・中野区出身。1976年東京学芸大学大学院修了(教育学修士)後、東京都立高校の数学科教員に。八丈高校、小松川高校、本所高校などを経て、閉校が決まっていた水元高校(葛飾区)に最後の校長として着任。その後は中等教育学校を併設した小石川高校(文京区)の第20代校長として高校の最後を見届けつつ、並行して小石川中等教育学校の校長を6年間務めた。定年退職後、8年間にわたり成城中学校・高等学校(新宿区)の校長に就任し、男子伝統校を復活させた。

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柿崎明子
ライター 柿崎明子

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