そう話し掛けると、生徒たちの視線が集まった。

「一生懸命授業に出たら、みんな卒業させてあげる、と約束しました。授業に出ても勉強がわからなければ、それは先生の責任だからとにかく授業に出ること、と。『命を大事にしよう』というのは、暴力事件も起きていたので、他人を傷つけてはいけないということを伝えたかった。自分だけでなくほかの人も大事だということをわかってほしかったのです」

「財産」とは生徒にとっての学校のこと。3年後には閉校し、取り壊される校舎だけれども、大切に使おうと訴えた。

◇ ◇

 教員との関係も、はじめはぎくしゃくした。初めての職員会議。会議室に入り、教員たちと向かい合う前面の席に腰掛けると、「校長の席はそこではない」と、古株の教員からクレームがついた。校長も教員と同じ並びに座るのだという。「職員会議は校長の責任で行うもので、全体を見渡せる席のほうがいい」。栗原先生がそう話すと、「水元高校では、これまでそういうしきたりでやってきた。教員の親睦を深めることが大事」と返された。

「職員会議は親睦会ですか、親睦は大切だから大いにやりましょう。でも職員会議は学校の方針を決める大事な場。親睦ではありません、と言いました」

 その教員は「撤回します」と引き下がり、栗原先生はそのまま席に座った。会議室は水を打ったように静まりかえった。

「私は、トップダウンは好きではありません。でも校長としての責任がある。ほかの学校でもそうでしたが、栗原が言うんじゃしょうがないな、という関係をつくるまでが大変でしたね」

 初年度に掲げた目標は「中退防止」だった。

 栗原先生は始業式の日から、校門に立って生徒を迎えた。8時半の始業時間になってもほとんどの生徒は来ず、10時過ぎにぞろぞろと登校してくる有り様だった。

 ある日、髪の毛を虹色に染めた生徒が「先生は本所から来たんだろう」と、粋がって話しかけてきた。教頭を務めていた前任の本所高校では、「茶髪ゼロ」の目標を立てて生活指導を行い、成果を出していた。そのうわさを聞きつけ「俺たちの髪も黒く染め直すつもりだろう」と言う。

「そんなことしないよ。それよりも遅刻のほうが問題。髪の毛の色は自分だけのことだけど、遅刻はほかの人に迷惑を掛けるから、そっちのほうを直そう」

 そう言うと、生徒は拍子抜けしたような顔になった。

「学校によって抱えている問題は違います。水元の場合、まず髪の毛はどうでもいい。朝起きて制服を着て、時間通り学校に行く。そのサイクルを作ることが先決でした」

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