生徒同士の「衝突」を見守り、時間をかけて解決させる

 校外研修の前には、生徒同士でどこをどう巡るのかなどを話し合います。前向きに取り組む子もいれば、「どうでもいいよ」と面倒くさそうにする子もいます。

 話し合いが煩わしい子からすると、「さっさと決めてくれればいいのに」という感覚でしょう。

 しかし、渋幕では面倒がる子どもたちがいることも織り込み済みで、「自分で決める」ことを徹底します。自分で決める楽しさだけでなく、煩わしさや大変さ、怖さも同時に大切にしているのです

 ときにはクラスの話し合いが思うように進まず、雰囲気が悪くなることもあります。じりじりと時間ばかりが過ぎて、気が立ったり集中力が切れたりする生徒も出てくる。言い争いが起きることもあります。

 こうした中で、粘り強く話し合い、納得解を見つけ出していくことは大人であっても難しい。

 教室内に先生は同席していますが、生徒たちの話し合いに干渉することはありません。「教員も我慢しているんですよ」と副校長の深村誠先生はいいます。

「効率を重視するのであれば、教員がすべて決定して、一律化した方が早い。けれど、渋幕ではあえて生徒に委ねています。予算や安全面などどうしても教員が握らねばならない大枠だけ決めて、あとは生徒たちが運営する実行委員に託し、さらにそれぞれのクラスでの話し合いにおろしていきます。失敗も無駄も多いので、つい『こうした方がいいよ』と口出ししたくなりますが、グッとこらえる。教員にとっては辛抱の時間だと思っています」

渋幕では、至るところで「大人が答えを提示しないように我慢する」場面に遭遇します

 ここで少し、家庭に置き換えて考えてみます。

「子どもに任せておいたら時間がかかるから」と、さっさと大人が決めて、進めてしまってはいないでしょうか。もちろん、どうしても時間が許さないこともあるかもしれません。しかし、すべてをお父さんお母さんが決めているということ、子どもが自己決定する練習を積めていないということ。小さな自己決定で練習をしていないのに、突然、進路や就職など大きな自己決定にさらされる。今の社会にはそうした若者たちがたくさんいます。

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