矢萩:そう、今まではそういう対話ができてなかったっていう話だと思うんですよね。たまたま受験しましょうよっていう母の意見と、本人の受験するという意見が同じほうを向いていただけで。さんざん話し合ったと書いてありますが、本当に細部まで具体的に話し合ったのか、ちゃんと対話になっていたのかは、怪しいんじゃないかなと思います。

安浪: このお子さんはけっこう上位層にいるのかな、って思うんです。今までは親の言う通りに振る舞えるし、勉強もそれなりに楽しくて、やったらやった分結果が出ていた。つまり、成熟度が高くて、塾の勉強についていけていたのかな、と。でも今、はじめて壁にぶつかって戸惑っている部分もあるんだと思います。本当に嫌なら、「受験はする」なんて言わないし、何かもうちょっと違う形でSOSというか、行動が出てくると思うんですよね。

「受験はするみたい」の背景を言語化して

矢萩:大事なのは、いま「受験はするみたい」という曖昧な言葉の背景にある感情や状況を、親子でもう少し具体的に言葉にしていくこと。どうして「みたい」なのか。どういうときに「やらない」という選択肢が出てくるのか。たとえば「この教科が苦手でつまずいている」とか「勉強が面白くなくなってきた」とか。4科目受験が厳しそう、と思っている可能性もある。そのあたりを明確にしないと、親としてもどうフォローしたらいいのかわからないと思うんです。

安浪:そうですね。今まではある程度、順調に来ていたのかもしれないけれど、ここに来て「これまでのやり方じゃうまくいかない」と感じている。そして、ちょっと逃げたくなっている。でも、それこそが「受験生らしさ」でもあると思うんです。だから「やっと本当の意味で受験という土俵に上がったね」って、笑いながら話し合ってもいいぐらいですよ。

安浪京子さん

「ごちゃごちゃ言い始めること」は成長のサイン

矢萩:改めてこのご質問を読むと、「親の言うとおりにしてほしかった」のかもしれない。本人も納得していたはずなのに、今になって「ごちゃごちゃ言い始めてる」感じがしている。でも、その“ごちゃごちゃ”こそが成長のサインでもあるんですよ。ただ、お母さんの語り口からは、「もういいから、やるならしっかりやって」というニュアンスも感じられる。「受験はするみたいなんですけど…」という表現に、ちょっとした自嘲が含まれているような。

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