コロナ禍のときに推しの存在に助けられていた人は多いと思います。僕のように、コンサートやオペラに行ったり、親しい人と飲み語らったりするのが趣味の人間はそうした機会がなくなったことが精神的に本当にこたえましたが、自宅で推しについて考えたり、推しの映像を見たりすることであの苦しい時代を耐えられていた人も少なくない、と聞きます。先ほどの“圧”の話にもつながりますが、「好きなことしかしたくない」という方向に振り切れるようになった、ということなのかもしれません。
恋愛は「2勝13敗」でいい
――恋愛感情に双方向性を求めないようになったのかもしれないですね。
恋愛に限らずですが、“失敗”に対する恐れが大きくなっているな、と感じます。振られるのが怖くて、告白できないんですね。若者たちのあいだでマッチングアプリが浸透するようになったのも、「効率良く自分に合った人を見つけられる」以外に、「必要以上に傷つくことがない」「目的がはっきりしている」ということも大きいのかもしれません。
恋愛を大相撲の場所に例えると、みな「15勝0敗」がいいと思っているけれど、僕は恋愛は「2勝13敗」でいいと思うんです。13敗が「2勝」を盛り上げてくれるわけですし、13敗で自分の好みの偏りや相性、相手の中身への洞察も深まります。そうして自分を深めながら人生で「2勝」といえる相手に出会えればそれで十分なんですよ。
でも実際は、「他の人に好かれる可能性ってどれくらいあるのだろう」と自信の持てない状況のなかで、告白して振られるリスクに対し、得られる報酬ってどれくらいあるのだろう、と考えてしまう。「報酬」と表現している時点で、なんだかせつない感じもしますね(笑)。
――たしかに、結婚や子育てに「コスパ」という観念が持ち込まれるようになったのも最近のことです。
子育ては自分の人生では永遠に元を取れない可能性もあります。元が取れようが取れまいが、これまでは続けてきたわけです。ただ、いまの自分の“利得”を最大限にしよう、いまを最大限楽しもうと考えると、子育てはリスクを負うことになるので、現状維持のほうがいいのではないか、という発想に行き着く。それはわかります。でも自分がここにいるってことは、自分の親がそれだけのリスクを取ってくれたことの結果なんですよ。自分の親はそれで不幸になったのか?と思えば、そうじゃないでしょう。
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