いつどこで大地震が発生しても不思議ではない日本。宮城県在住のイラストレーター、アベナオミさんは、2011年3月11日東日本大震災に遭遇し、1歳半の長男をかかえ自宅避難を余儀なくされました。備えゼロ、知識ゼロで遭遇した大災害。その反省からアベさんは防災士の資格をとり、自身の体験を交えたコミックエッセイ『被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40』(Gakken)という本を上梓、各地で講演会をするなど、さまざまな形で情報発信をしています。アベさんが経験した“震災”、そしてその経験を発信し続ける理由とは?※備え編<いますぐやるべき大災害への備え、「最低限これだけは」の5つとは? 東日本大震災を経験した被災ママに聞く>を読む
【マンガ】震災体験を描いた「被災ママの体験から考える防災」、「ミニマル防災」を読む(全13枚)唯一の情報源は母が持たせてくれたラジオだけ
――アベナオミさんは東日本大震災発生時には、仙台市に近い利府町にお住まいだったそうですね。震災が発生したとき、どんな状況だったのですか?
当時1歳半だった長男は保育園、夫は塩釜港近くにある会社で仕事をしていました。私は車で移動中だったのですが、ハンドルをとられるほどの激しい揺れに襲われました。
宮城県は20~30年に一度くらい大きな地震が起きる地域なので、子どものころから震災の教育を受けていたんです。だから「宮城沖地震がきたな!」とは思ったのですが、これがどんな規模の地震で、具体的にどう動けばいいかはまったくわかっていませんでした。
とりあえず自宅の様子を見に戻ると、揺れのせいで窓は全開、家の中はグチャグチャ、割れ物が散乱していました。壊れた食器などを少し片づけてから、息子を保育園に迎えに行き、近くの実家に立ち寄ったんです。そこで初めて津波が起きていることを知りました。
【マンガ】震災体験を描いた「被災ママの体験から考える防災」を読む(全8枚)
――さぞかしゾッとしたのではないでしょうか。
もうパニックです。今思えばとんでもないのですが、「ダンナを迎えに行かなくちゃ!」と、息子と一緒に海に近い夫の会社に車で向かったのです。
津波が来ていることは知っていたのに、自分が津波に巻き込まれるなんて思わなかったんですよね。「海側のルートは混んでいそうだから」という理由で山側の道を走ったので、なんとか命拾いしました。結局夫の会社にはたどりつけず、途中で引き返して真っ暗な家で夫の帰りを待ちました。
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