聴く人すべての日常に溶け込み、心に寄り添ってくれる歌が人気の5人組バンド「wacci」。ほとんどの曲の作詞・作曲を手がけるボーカル&ギターの橋口洋平さんに、「音楽」に出会うまでのお話や、自分の「好き」の見つけ方についてうかがいました。※前編<「放課後カルテ」主題歌wacci橋口洋平に聞く中学受験“全落ち”の過去「親の期待にこたえられないふがいなさがあった」>から続く
【写真】高校の剣道部時代や幼少期のwacci橋口洋平さんの写真はこちら(全8枚)高校時代は、しょっぱなからノリを間違えました
――橋口さんは、高校時代から音楽を始められたのですね。
当時、友達になってくれた子が路上ライブをやっていて、僕もいっしょに歌うようになったんです。
――どんな高校時代でしたか。
なかなか大変でした。僕は、小学校から付属がある学校に高校から入学したのですが、完全に“ノリ”を間違えてしまったんです。
――間違えたとは……?
僕、中学ではけっこう授業中も手をあげたり、学級委員も立候補するようなタイプだったんです。そのノリで「すぐに友達ができるだろう」と振る舞っていたのですが……。入学した高校は小学校から上がってきた人も多くいたので、その中では「空気の読めない人」という感じになってしまったんですね。
そこで人間関係にかなり悩んで、高1の半年間は本当に大変でした。朝も学校に行くのが嫌で嫌で。それを誰にも言えないし、本当に苦しかったですね。
――お話を聞いているだけで心が痛くなります。
転機は高1の後半でした。「部活に入ればなにか変わるかも」と、初心者ながら剣道部に入部したんです。
なんといっても初心者ですし、もちろんすぐにはなじめませんでした。でも、少しずつ、僕のキャラクターを部の仲間がわかってくれて……。その子たちは、僕のことをよく思わない人にも「あいつはこういうやつだよ」と伝えてくれたんですね。そこでだんだんいじめもなくなっていったのです。
サラッと話しちゃいましたが、ここに至るまで相当な葛藤がありました。自分の立ち位置や対応も試行錯誤して、「いじられることでみんなから好かれるポスト」というものがあるということも知りました。決して無理をしたわけではなく、クラスで仲良くやるには「こういうやり方があるんだ」と学びになりましたね。
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