ただ、子どもの僕に両親はきちんと向き合い、愛情を注いでくれました。とくに、母はあまり口は出さなかったけれど、しっかり見守ってくれました。ですから、転校が多くても苦しかったり、悩んだりしたことはなかったのです。
――お母さまのどんなところが当時の橋口さんの支えになったのでしょう。
なるべく家にいてくれたんです。僕が低学年のころ、母が仕事を始めました。でも、僕が放課後学童に行くのが本当にイヤで……。当時の学童が、薄暗い場所にあったんですよね(笑)。それが苦手で、行くのを泣いて拒否していたら、仕事をやめてくれたこともありました。いつも僕のことを一番に考えてくれていましたね。
あとは、僕の話をよく聞いてくれました。学校や塾の話……たくさん話したのを覚えています。
あまりに転勤が多いので、小5で青梅に帰ってきてから、父は単身赴任になりました。そこから15年くらい、ずっと母と二人で暮らしたんです。
母もいっしょに猛勉強した中学受験
――橋口さんは、中学受験を経験されています。
そうなんです。僕から「受験したい」といった記憶はないので、両親から「やってみない?」と言われたのでしょう。僕の父が高校から大学付属の学校に通っていたのも受験をすすめた理由にあったのかもしれません。当時、まわりに中学受験をする友達は少なかったのですが、小3くらいから塾に通い始めました。
中学受験に関しては、母がいちばん頭がよくなりました(笑)。僕に教えるために、母もめちゃめちゃ勉強したんです。だから、母はもうどこでも受かるレベルに達していたのではないでしょうか(笑)。そういうところでも、寄り添ってくれていたんですね。ひとりにさせないというか。その当時はそんなこと考えてもいないですし、ただ勉強がイヤで仕方なかったんですけど(笑)。
たしか2、3校くらい受けたと思いますが、結果は見事に全落ちだったんです。親の期待に全然こたえられなかったふがいなさは当時ありましたね。自分から受験したいと言ったわけではないけれど「やめたい」とも言わなかったし、がんばろうと思ってやっていたところもあったので……。でも、実は模試の判定から全然合格圏に届いていなかったので、「それはそうだよね」という部分もありました。
次のページへそのときのご両親の様子は?