実は当初、進学先の第一候補として別の学校を想定していたという俵さん。だが、一つのテーマをじっくり学ぶ「探究型学習」重視の教育方針や、寮を案内してくれた在校生のしっかりした受け答えに好印象を抱いたこと、そして何より息子本人の強い希望があったことから、迷わずその学校を第一志望に決めた。
息子の受験勉強中、俵さんがとくに意識していたのは「希望通りの結果が出なかった場合のこと」だった。
「受験がうまくいかなくて親が打ちひしがれていたら、子どもは自分のせいだと思って傷つきますよね。結果はどうあれ、頑張ったことはゼロにはならないし、お母さんと一緒に問題を解いた、難しい問題が解けて嬉しかったという経験をいい記憶のまま残すことはできるはず。もちろん不合格を前提に取り組んでいたわけではありませんが、もしうまくいかなかったらそのときこそ親の出番で、『あなたの頑張りはよく知っているよ』と言ってあげることが私の役割だと肝に銘じていました」
■「携帯電話禁止の6年間。息子に毎日ハガキを送りました」
併願校も加えて臨んだ入試の結果は、第一志望合格。寮生活が始まると間もなく息子はホームシックになり、俵さんも寂しさを感じたが、長期休みなどで帰宅するたびに実感する息子の成長は、何よりの楽しみでもあった。同学年のルームメイトと過ごした息子の日常は「きっと、人間関係の練習問題が毎日出題されるような感じだったと思う」と俵さんは語る。
「相手を気遣いつつ自分の意見を伝える力、違ったタイプの人といい関係を築く力は鍛えられましたね。親ばかかもしれませんが、寮生活を通じて人としての器も大きくなったような気がします」
そしてもう一つ、俵さんが「今の時代になかなかできない、貴重な体験」と振り返るのが、携帯電話の持ち込みを禁止する学校と寮のルールだ。家族への連絡にも寮内の公衆電話を使うという徹底した状況だったからこそ、息子との特別な“絆”も生まれた。6年間、毎日息子宛てに送り続けたハガキだ。
「大したことは書きませんよ。ただ、君のことをお母さんは忘れていないからね、と伝えたかったんです。高3になって毎日のハガキはさすがに恥ずかしいだろうと『もうやめようか?』と聞いたら、『やめないでいいよ、友だちもみんな楽しみにしてる』と言われました(笑)」
大学入試は情報収集から志望校決定まですべて息子が行い、総合型選抜で見事合格を手にした。石垣島での生活や寮で過ごした中高時代の経験が息子の自立心を育み、それが大学入試の結果にも少なからず影響を与えたかもしれない。だが「大学合格」から逆算して、「今すべきこと」を決める方法には賛成できないと、俵さんは主張する。
「大学に入るための高校、高校に入るための中学という考え方はちょっと違うのかな、と。未来のために今があるのではなくて、今を充実させることが未来につながる。目の前にある日々を充実させることで、次の道も見えてくると私は思っています」
20年に発表し、短歌の世界で最も権威ある賞とされる迢空賞(ちょうくうしょう)を受賞した歌集『未来のサイズ』。同書には息子が寮に入って間もないころ、街で目にした小学生の姿に涙が出た日のこと、コロナ禍の一時帰宅による“期間限定”の二人暮らしの出来事が、愛とユーモアに満ちた言葉で歌われている。後書きの「歌を詠むとは、日常を丁寧に生きること」の一文に、息子との日常をそっと掬い上げ、歌に託してきた俵さんの思いを感じた。
(文/木下昌子)
※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2023』より
朝日新聞出版