――特別な遺伝子配列を持っていないと、卓越した才能は発現しないのでしょうか。
行動遺伝学における研究で、例えば学習の限界を証明したものはまったくありません。ある時点における能力の達成度合いには個人差があり、そこに遺伝の影響があることを明らかにすることはできます。ただ、そこで言えるのは、それまでに学習してきた結果に伴うものであって、そのあとの経験の蓄積や環境の変化によって、それまでできなかったことができるようになる可能性を全否定しているわけではありません。人生において何か卓越した才能を生み出すような遺伝子配列を持っているか、持っていないかは、結局やってみなければわかりません。もちろん何ごとかをやり遂げようとトライし続けようとする能力にも遺伝の影響はありますが。
親はつい子どもに何かできることはないかと探し出すのですが、どんな環境が、遺伝的要素に反応するかは、実際にやってみないとわからないですし、その子の遺伝的要素がポジティブに反応できることに出会えるかは、「運」が大きいと思います。能力やパーソナリティーの個人差により、遺伝で説明できない部分の多くは、システマティックに与えられる環境や学習経験以上に、ランダムな環境との出合いなのです。
「遺伝的個性」とか「遺伝的才能」というのは、よくイメージされる「強くて、瞬く間に開花していくような輝かしいもの」ばかりではありません。世に言われるようないわゆる「天才」でなくても、その子がその子らしく自尊心や有能感をもって社会の中で存在を認めてもらえる人になれる可能性は、誰にでもあると私は確信しています。
ここからは行動遺伝学というよりは一人の人間としての話になってくるのですが、親自身がやりたいと思ったことをやって子どもに示す、つまり親の生き方や自己実現を見せることが、結果的に子どもの遺伝子に何らかの影響を与えるのではないかと思います。子どもはそのときに共感しようが反発しようが、それ自体が「経験」として受け取られ、子どもの血や肉になっていくからです。ですから親自身が一人の個人として、まっとうに充実した生き方をすることが大切なのだと思います。
(取材・文/神武春菜)
※中編〈子どもの学力に影響するのは「遺伝」と親が与える「教育環境」のどちらが大きい? 行動遺伝学者が回答〉から続く