開学わずか十数年で進学校に

 そして、教駒は開学からわずか十数年で進学校になる。優秀な小学生が中学受験で集まったからだ。同校OBで、衆議院議長をつとめた故・細田博之は1957年教駒中に入学、同高校をへて1963年に東京大に進んだ。同級生には前・日銀総裁の黒田東彦がいる。

 細田は中学受験塾の日本進学教室に通っていた。現在のSAPIXのような塾である。細田は保護者の会話を思い出し、こう振り返る。

「3人の息子をもつおかあさんが出席して、『私は長男と次男を駒場に進学させている。この学校はすばらしい教育をしている。私の三男も来年駒場を受けさせる』と紹介しました。この話がすぐに母親たちのあいだで広まり、成績優秀な子は教駒を第1志望とするようになりました。教育熱心な母親によって教駒は進学校となり、東大合格者を増やしていく。それが次の代の中学受験生に知られるようになり、秀才たちが連鎖的に教駒に入ってきたのです」

 教駒からの東京大合格者は1962年30人→64年52人→66年82人→68年91人→70年136人と、ほぼ右肩上がりを続けた。

  1970年代は100人を超えることが多かった。教附同様、都立高校に学校群制度が導入され、都立を避けて教駒に優秀な生徒が集まったことが大きい。

 1973年東京大合格者134人で全国一となる。同年、教駒教員が端的に言い表していた。

「生徒のツブがそろっている。それに尽きます」(「サンデー毎日」1973年4月17日号)

現役東大合格率59.6%の記録

 1975年、教駒の卒業生161人のうち東京大合格者は96人だった。教駒現役生での合格率59.6%という驚異的な数字をはじき出した。これは今日でも破られてはいない。灘、聖光学院でもおよばない数字だ。

 このころ、前出、日本進学教室の担当者がこう話している。

「ここの成績ベスト50のうち27人が教駒に行きました。教大附属(大塚)へは2人です。教駒の方は男子校、教大附属は共学。親御さんからすれば、進学のために男子だけの方がいいとおもったのでしょう」(「週刊朝日」1973年4月6日号)

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