運動会での一致団結に象徴される仲間意識が強い開成、制服がなく個性を思いっきり発揮できる麻布――。それぞれに優秀な子どもたちが集まる両校だが、両校の校風の違いはどこから始まったのだろうか。開成、麻布の歴史を眺めてみよう。本稿では開成の歴史を紹介する。※後編<麻布が「進学校」であり続ける背景とは 東大合格、学園紛争…開校からの歴史を振り返る>に続く
【データ】開成と麻布の東大合格者数、100年間で比べてみると(全10枚)開成は公立学校だったことがある
開成のほうが歴史は古い。
1871(明治4)年、共立(きょうりゅう)学校という名称で誕生した。初代校長は高橋是清である。歴史教科書に載るほどの偉人だ。高橋は教育目標をこう掲げた。
東京大学予備門(現在の東京大)に、「入ラント欲スル者ノ為メニ必用ナル學科を教授スル」。
実際、合格実績は高かった。その後、共立学校は開成と名前を変えたあとも、東京大教養学部の前身(東京大学予備門から継承)に多く送り出した。
戦後、1949年新制・東京大(旧制第一高等学校からの継承)が誕生してから2024年まで、開成の東京大合格者合計は9158人を数える(学校、大学通信、旺文社など各種データから算出)。最近10年間の合格者平均は約170人なので、2020年代末に約1万人を突破しそうだ。開成は150年前から東京大へ行くための学校として宿命づけられたといえる。
意外に知られていないが、開成は公立学校だったことがある。
明治時代、中学校令の一部改正(1891年)で地方の公立学校が進学で優遇されたため、私立学校から第一高等学校など上級学校に進むことが困難になった。これでは学校経営は成り立たない。そこで、共立学校は東京府が運営する東京府開成尋常中学校となる。ここで「開成」の名が初めて登場した。由来は、古代中国の書物である『易経』、繋辞伝(えききょう・けいじでん)にある「夫易開物成務」から来ている。万物を開発しあらゆる事業を完成させることを意味する。
その後、私立学校からも上級学校への進学が容易となり、1901年、開成は東京府から私立に戻って東京開成中学校となる。
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