保護者会ではちょっと聞きにくい。でも、気になる! そんな疑問を現役小学校教諭に教えてもらいます。今回は「2学期」について。お話を伺ったのは東京学芸大学附属世田谷小学校の木村翔太先生。「AERA with Kids2024年秋号」(朝日新聞出版)からご紹介します。
【イラスト】木村翔太先生が描いたイラストはこちら2学期は「かたまる」イメージ
こんにちは。みなさんは、2学期をどんなふうに過ごしていますか。
1年間を通して、2学期というのはよくも悪くも“かたまる”イメージを持っています。進級して気分も一新し、クラスメートの観察や自分のポジション探し、先生の怒るポイントの把握などに忙しい1学期とは異なり、なんとなく全体がつかめてきたところからスタートします。
ポジティブな側面として、互いを理解して距離が近くなり、クラス一丸となって目標に向かう活動ができるようになるでしょう。一方で、一丸となれる分、その丸に入らない子や入れない子も出てくるということ。また、お互いの距離が縮んだからこそ、必要な配慮や遠慮がなくなってしまいがちということがネガティブな側面として挙げられるでしょう。
かたまるものといえば“キャラ”もそのひとつ。「あの子は発言する/しない」「人気がある/ない」「先生にほめられる/叱られる」などがパターン化され、定着してくるのです。それはお互いの理解が進んだともいえますが、日々の生活の中で個性はキャラ化され、そこからなかなか抜け出せなくなることもあります。
2学期、友だち関係はどうなる?
そして、友だち関係もかたまります。つきあう友だちの幅が狭くなり、お弁当を食べるのも、トイレに行くのもいつも同じ子と一緒。周囲には規制線が張られたように見え、誰も入れない花園を形成することも。そして、「わたしたち親友だよね」のひとことが鎖となり、ついには当人も息苦しさを感じてそこから出たくなる。ところが、相手はぼっちになってしまう恐怖から鎖を握る手により力を込める……。
しかし、だからといってそれを事前に止めてしまえば、子どもの学びの機会を奪ってしまいます。“かたまる”ことの安心感もそこから生まれる煩わしさも、ともに子どもが学んでいくべきこと。理想は、粉砂糖と角砂糖のように、用途に応じて使い分けられることでしょう。「そういうの、ちょっと危険かもよ~」くらいのアラートを出しつつ静観し、子どもが困り果てた時に、体験が学びとなるようサポートする。それこそが我々おとなの役割と、私は考えています。
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