よく食べ、よく笑い、ハッピーオーラ全開のギャル曽根さん。家庭では小6の長男、小3の長女、そして0歳の次女の3児のママでもあります。いつも大らかで明るいギャル曽根さんですが、子ども時代には両親が離婚し、転居・転校という生活の激変も経験しました。それでも屈託なく学校生活を楽しめたのはなぜなのでしょう。ギャル曽根さん自身の子ども時代を振り返りながら、子どもの学校生活の見守り方を聞きました。
【写真】仲良し!10歳当時のギャル曽根さんの3きょうだいショットはこちら(全2枚)小3で両親が離婚したのに、私は気づいていませんでした
私の両親は、私が小学3年生のときに離婚しました。でも私は、小5になるまでの2年近く、両親の離婚を知らなかったのです。
……と言うと「なんで親が離婚したことに2年間も気づかなかったの?」と言われるんですが、本当なんです。母はずっと変わらずに明るかったし、父はもともと仕事が忙しくて、あまり家にいない人。夕飯をいっしょに食べることもなく、私たちきょうだいは夜8時に寝ていたので、仕事から帰ってきた父に会うこともなかったんです。父が家にいなくても違和感がないというか……。
私の父は会社経営をしていて、家は広く、お手伝いさんもいました。けれど父の事業がうまくいかなくなったのでしょうね。会社は倒産。多額の負債を抱え、父は家を出て行き、離婚することになったようです。
私が両親の離婚に気づかなかったのは、私が能天気な子どもだったっていうのもありますが、母がいろんな面で気づかってくれていたからだと思います。
離婚したあとも姓は曽根のままだったし、学校の名簿の「父親」の欄には常に父の名前が書いてありました。当時は「個人情報保護」なんて意識もなかったので、全校生徒に住所や電話番号、親の名前が入った名簿が配られていたんですよね。
地方の小さな町でしたから、噂が立たないように、母はいろんな配慮をしてくれたのだと、いまならわかります。
大好きだった学校からの転校。それでも新生活を受け容れたわけ
母に守られていた生活が、大きく変わったのは小学5年生のときでした。
それまで住んでいた大きな家を、さまざまな事情で手放さなくちゃいけなくなったのです。借家を借りて引っ越し、転校することになりました。
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