2018年に活動を「完結」させたロックバンド・チャットモンチー。メンバーの福岡晃子さんは、その後もソロアーティストやクリエーターとして活躍を続けています。東京で音楽の最前線にいた福岡さんですが、「完結」の2年後に突然、徳島県の海辺の町に転居しました。夫と子ども、そして猫と犬といっしょに。それから4年、地元の人々の中に溶け込みながら、子育てと暮らしの中で生まれる音楽と向き合っている福岡さん。その決断に至る背景と、地方での子育ての魅力について聞きました。※後編<元チャットモンチー福岡晃子が、息子の発達障害を“受け入れられた”きっかけとは 「親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方を」>へ続く

MENU コロナ禍の2020年。「東京でなくても仕事はできる」 プライバシーゼロの町は、子育てがしやすい町だった 暮らしの中で生まれる音を、作品として形にしたい

コロナ禍の2020年。「東京でなくても仕事はできる」

――福岡さんはもともと徳島市のご出身ですが、いま住んでいる徳島県の町とは縁もゆかりもなかったそうですね。なぜ突然、東京を離れることに?

 息子を出産したのが、新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延していった2020年の初めでした。

 その少し前から産休も兼ねて仕事を減らしていたので、外に出ることがいっさいなくなってしまったんです。

 仕事もリモートだし、ライヴは中止だし、新生児はマスクもできないし、犬の散歩も気を使うような生活です。「こんな状態で東京にいる意味あるのかな?」と思うようになりました。

――それで「徳島に帰ろう」と思うようになったんですか?

 いえいえ、東京を離れるなんて想像もしていませんでした。私は20代で上京したときから、「ずっと東京でがんばっていく!」という覚悟で生きてきましたから。

 きっかけは、最初の緊急事態宣言が明けてすぐ、親子3人で徳島に帰ったときのことです。犬と猫もいっしょなので、車での帰省でした。

 せっかく帰っても、県外ナンバーの車は目につくので、実家にずっと引きこもっていました。だんだんイヤになって、「これじゃ東京と変わらない。せめて人のいない場所にドライブに行こうよ!」と、全員で県南の海に行ったんです。

 浜辺には誰もいなくて、久しぶりに広い場所でのんびりしました。そしたら犬が楽しそうに砂浜を走って走って走って……。あんなにうれしそうな姿は初めてでした。

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神素子
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