都市部を中心に人気が続く中学受験。首都圏の受験率は2024年、過去最高を更新しました。中学入試や中高一貫校の最新トピックを紹介する本連載。本稿では、特色ある中高一貫校について、学校取材歴三十余年の中学受験情報誌「進学レーダー」前編集長・井上修さん(現・日能研入試情報室室長)が紹介します。今回は、東京都にある女子校・中村中学校です。

MENU 創立以来、校舎は3回燃えた 交通事情や街の変化と共に学校も変化 校内に足湯がある 2022年には東大に推薦合格者が出た 「居心地も大事」と考える保護者のニーズ変化

 江東区清澄にある中村。東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線「清澄白河駅」徒歩約3分という立地ですが、清澄庭園に隣接し、すっくと立つ現代的な校舎が迎えてくれます。

創立以来、校舎は3回燃えた

 同校の創立は1909(明治42)年。江東の地に女子教育の灯(あかり)をともすべく、実業家・中村清蔵によって中村高等女学校として開校しました。4代目校長・中村三郎によって「清く、直く、明るく」の校訓が定められ、自由で伸びやかな校風の基礎が築かれました。与謝野鉄幹・晶子夫妻や北原白秋などを招いた教育講演会も開かれ、校外授業の実施や、校技・バレーボールの導入などが実施されます。この後、戦前から「バレーの中村」としても有名になり、1940(昭和15)年には、バレーボール部が全国1位となります。

 伝統のある私学は、その歴史の中で多くの困難に直面し、その困難を乗り越えてきた強さがあります。中村も例外ではありません。

 中村は、なんと、校舎が3回も燃えたのです。最初は1905(明治38)年のポーツマス条約反対交番焼き打ち暴動による延焼(1903年~08年、前身の深川女子技芸学校時代)、2回目は1923(大正12)年の関東大震災、そして3回目は、1945(昭和20)年の東京大空襲です。まさに、私学の歴史と日本の近現代史が重なっていますね。いずれにしても、その困難の中でも中村は立ち上がり、復興してきました。

著者 開く閉じる
井上修
進学レーダー前編集長/日能研入試情報室室長 井上修

いのうえ・おさむ/1967年生まれ。91年横浜国立大学教育学部心理学専攻卒業。同年日能研入社。以来継続して入試・学校・教育情報を専門とする。中学受験雑誌「進学レーダー」編集長を経て2024年より現職。著書、雑誌への寄稿多数。

NEXT地下鉄の延伸で学校も変化
1 2 3 4