でも「あんたを幸せにするからね」とか「守る」とかいう言葉は、ほぼ言われたことがなくて、母が言うのは「あんたの幸せが、お母さんの幸せ」。

 それってすごく範囲が広いじゃないですか。ぶっちゃけ、私が犯罪を犯して刑務所に入っても、私が幸せやったらいいとなる。まぁ、それは極端だけど、でも幸せって本人が感じるもので、親の意思でどうにかできるもんではない。親ができるのは応援をすることくらいじゃないですか。

 だから岸田家の家訓は「各自、幸せになれ」(笑)。ある種、前向きな諦めがある。そういうところもよかったと思います。

――エッセイシリーズの最新刊「国道沿いで、だいじょうぶ100回」には、じっとしていられない弟さんが、幼い頃、国道に飛び出したエピソードもありました。弟さんの育て方を見ていて思うことは?

 弟は脱走したこともありましたし、学校にも付き添いで行かないといけなかったり、今ほど便利じゃない環境のなかで、生きるために必要な情報も集めなければならなかったり。母にとって大変なことは本当に多かったと思います。

 でも母にとっては、今ではもう全部笑い話なんです。

 母は、最初は良太とほかの子と比べて落ち込んだときもあったけど、 1年後、2年後、3年後、4年後、その子なりに絶対成長していくし、それが喜びになって、人と比べなくなったそうです。

「中高でグレたりする子もいるやん? バイク乗り回して、明石まで走ったりするやん? お母さん、ああいう話を聞いてたらな、良太はグレんでよかったって思うねん」とか、「障害がない子でも、不登校になったりいじめをしたりされたり、いろんなことがある。苦しみを共有するのが早いか遅いかの話だけで、みんな変わらへんよ」と。そう考えられるのはすごいなって思いますね。

母の二枚舌外交のおかげで、私は呪いにかからなかった

 ダウン症の弟のほうが手がかかるので、私自身は、ちっちゃいときは拗ねることもあったんです。あるとき私が転んで、でもお母さんは弟から目が離せないから「1人で立ちなさい」って手伝ってくれなくて。

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