1970年代、麻布は開成、武蔵とともに御三家と称され、東京大合格者数ランキングで上位にあり続けた。しかし、1970年代後半、舌禍事件を起こして世間から厳しく批判されたこともある。全国高校野球選手権大会東東京予選で、対戦相手の高校に「落ちこぼれ」「くやしかったら東大に入ってみろ」などのヤジが飛び、それが新聞で報道され、いまでいう炎上したことがある。

 このころ、麻布からの東京大合格者数は100人を超すことがあった。当時の「進学資料」にこんな一節がある。

「東大のみをめざすものが多く、早大慶大に合格しても浪人するものが増えたということです。確かに一浪の合格者が増えたとはいえ、『なにがなんでも東大』という傾向は好ましいとは思えません」(『麻布学園の一00年』)

 学校のこんな思いは生徒にさほど響かなかったようだ。麻布の生徒のあいだで東京大志向が減ることはなかった。

学校、大学通信、旺文社など各種データから算出
学校、大学通信、旺文社など各種データから算出
学校、大学通信、旺文社など各種データから算出
学校、大学通信、旺文社など各種データから算出

 このころから半世紀近く経った現在も東京大合格者数は隔年現象を示すが、安定している。2024年までの10年間の合格者数は88人→94人→79人→98人→100人→65人→86人→64人→79人→55人と推移している。隔年現象とは現役、浪人合格者が多い年、現役合格者のみが多い年が1年ごとに繰り返されることだ。

学校、大学通信、旺文社など各種データから算出
学校、大学通信、旺文社など各種データから算出

開成OBと麻布OB

 開成は平穏であり続け、運動会で培われた結束力の強さは卒業後も発揮される。麻布は在校生の造反で校則をなくし獲得した自由を謳歌し、社会人になっても個人主義を貫き自由に振る舞う。かなりの乱暴な見立てだが、OBをみると学校のカラーがあらわれている面がある(カッコ内は卒業年)。

 開成出身者には官僚、政治家経験者が多い。彼らは永霞会(永田町、霞が関)を作って省庁の壁、政党や派閥を超えて親睦を深めている。永霞会関係者によれば、開成OBの官僚は約600人、国会議員は8人を数える。岸田文雄首相(1976年)、嶋田隆首相秘書官(元・経済産業事務次官 1978年)の先輩後輩コンビは気心が知れた間柄だろう。

 国会議員には官僚出身が多い。城内実(外務省 1984年)、小林鷹之(財務省 1993年)と鈴木馨祐(財務省 1995年)、井上信治(国土交通省 1988年)、上野宏史(経済産業省 1989年)、鈴木憲和(農林水産省 2000年)でいずれも東京大出身。

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