お弁当作りには「期限」があるのです
―――お弁当を、別の視点から見ることができそうです
以前、お弁当で冷やし中華を作ったら、息子たちに「麺類ならコンビニ弁当のほうが食べやすい」とサラッと言われたことがありました。一瞬ムッとしたのですが、「確かにそうかも」とも思ったのです。冷えているし、なにより食べやすいのでしょうね。なるほどと、教えられたような気持ちになりました。
お弁当で気をつけているのは、「食べる側」の気持ちを考えることです。つい、自分の気持ちだけで作ってしまいがちですが、食べ手が「おいしかった」と思ってこそお弁当。食べ手に手作りのありがたみを押しつけるつもりはまったくないし、「手作りでいい子に育ちますよ!」というつもりもまったくありません。7割くらいの力で、気負わず作ればいい。それくらいでいたほうが、作り手も食べ手も気が楽ですよね。
人はそれぞれ、好きなことや得意なことが異なります。私はたまたま料理が好きでしたが、みんながみんな料理、ましてやお弁当作りが好きというわけではありませんよね。でも、子どもが成長した今、思うことがあります。実は長男が寮生活なので、もうお弁当を作りたくても作れないんです。
夏休みのお弁当作り、大変ですよね。でも、確実に「作らなくてもいい日」はやってきます。お弁当を作る相手がいて、作る気力と体力がある。それってすごく幸せなことなんだな、とつくづく思います。食事作りは、自分だけのためにはそこまで頑張れないもの。相手がいてこその作業です。私も上の子どもが20代ちょっとなのでまだまだですが、それでも「やってきてよかった」「作りきってよかった」と思います。
ユウウツも多いのですが、必ず子どもは成長するもの。お弁当作りを「とても幸せなことかもしれないな」……と思えるにはまだまだ時間がかかるかもしれませんが、そんな日をうっすらと想像しながら作ってみてください。お弁当作りはすごく意味のある作業ですし、そしてなにより、必ず子どもの中にも残ってくれることなのです。
※前編<亜希が振り返る、息子2人の「野球弁当」を作り続けた18年 「お弁当の暗示で長男は特大ホームランを打ちました」>から続く
(取材・文/三宅智佳)
亜希