モデル、タレントや執筆活動、ファッションブランドのディレクターと幅広く活躍中の亜希さん。料理家としても注目を集め、野球に励むふたりの息子さんたちに作り続けた「野球弁当」への思いをつづった新刊『亜希の「ふたが閉まるのか?」弁当 ~母ちゃんと息子2人、笑いと涙の18年間の弁当記録~』(オレンジページ)も話題です。どんなときも、欠かさずに作り続けた子どもたちへのお弁当。そのモチベ―ションはどんなところにあったのでしょう。亜希さんに聞いてみました。※後編<亜希が語る、子どもの弁当作りへの向き合い方 「作りたくても作れない日は確実にやってきます」>に続く

MENU ごはん作りの基本は自分が食べて「おいしい」と感じるもの 母の「工夫のごはん」が私の料理の原型です 低学年なら「お弁当の暗示」が通用します 思い出を豊かにしてくれる。やっぱりお弁当ってすごい

ごはん作りの基本は自分が食べて「おいしい」と感じるもの

―――長男の正吾さんが幼稚園に入園してから、次男の勝児さんの分も合わせて、18年間。普段のお弁当に加えて、毎週野球の練習や試合の日にもお弁当を作られていたのですね。

 そうなんです。気がつくと18年も作っていた!という感じなのですが。

―――そのお弁当へのこだわりを教えてください。

 私自身が親になってから、家族に作るごはんの基本は、自分が食べたいもの、自分が食べておいしいと感じるものでした。もちろん、お弁当もそうです。

 よく「食べ物は器で変わる」といわれるように、お皿や器が素敵だと料理もおいしく感じるものですよね。ですから、子どもの食器もプラスチックのものは使いませんでした。ここもやっぱり「自分がおいしく食べている気持ち」になれることが基準で(笑)。小さな子どもは食器にこだわりなどないし、誰も見ていないからいいのでしょうが……家で使う食器は陶器のものを選んでいました。

 子どもたちが幼稚園時代に使っていたお弁当箱も、その頃から「曲げわっぱ」一択。なぜか「キャラ弁は作らず、プラスチックのお弁当箱も持たせないぞ!」という偏ったこだわりがありました。決してキャラ弁やプラスチックのお弁当箱がイヤというわけではなく、お弁当でも私が「食べたいもの」「使いたいもの」を優先したのです。

 今振り返ってみると、お弁当箱に関しては「幼稚園だし、なぜあんなに頑なにこだわったんだろう。キャラクターのお弁当箱でもよかったのに」と思うのですが……当時はちょっと気取っていたのでしょうね(笑)。

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三宅智佳
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