母の「工夫のごはん」が私の料理の原型です
―――亜希さんの料理に「お手本」はありますか?
亡くなった母の作ってくれたごはんが、私の料理のルーツです。私の母は、離婚してシングルマザーで私と兄を育ててくれました。子どものころは「外食」というものが年に一回あるかないかでしたが、食卓にはいつも母が作る「工夫のごはん」が並んでいたんです。
たとえば「しゃぶしゃぶ」。普通は牛や豚肉の薄切りを使いますよね。それを母はひき肉に「工夫」していました。ひき肉のほうがリーズナブルですから(笑)。そして、そのひき肉をすくう小さな茶こしのような網も、各自食卓に登場するんです。それが楽しくて。結局、口に入ってしまえば一緒なんですよね。
畑で踏まれてお店に並ばないようなネギも、きれいに洗ってお味噌汁の具にしていました。「あ、またこのネギだ」と思うのですが、やっぱりおいしい。華やかさとは無縁でしたが「今日はお金がないからこれにしたわ」というのではなく「こんなふうに工夫すれば、立派なごはんのできあがり!」という例をずっと見てきたんです。見てきたというより「見せつけられていた」というほうが適切かもしれません(笑)。
ですから、小学生くらいからなんとなく「料理って奥が深いな」と感じていました。お金をかけなくても、工夫次第でそれなりの料理が作れる。子ども時代にたっぷり学んだこの工夫ごはんが、私の料理スタイルの原型です。
15歳で福井県から上京したのですが、東京では見たことも食べたこともなかった料理とたくさん出合いました。味覚も肥えて、それを自分の原型とじょじょにミックスさせてきた気がします。仕事をするようになってからは自炊生活でしたが、食べることが大好きなので苦にはなりませんでした。
低学年なら「お弁当の暗示」が通用します
―――お子さんが小学生の頃のお弁当の思い出を教えてください。
たくさんあるのですが……。子どもたちが小学生くらいまでは、お弁当で「お腹を満たす」ことはもちろん、“洗脳”もしていました。「これを食べると試合でホームランが打てるよ」とか「これを食べると足が速くなるよ」というアレです。低学年くらいまでは、こういう暗示がまだ通用するころ。よく使いましたね。
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