昭和よりも、平成よりも、育児に熱心な父親が増えているように思う令和時代の子育て。しかし夫婦の時間はおろか、自分の時間も持てない親が相変わらずたくさんいます。なかには母親以上に憂鬱を抱えている父親の声もちらほら……。子どもも子育ても嫌ではない。でも、成長に合わせて子どもの悩みは尽きないうえ、相変わらずタスクも多い。このような令和親世代は、どのような気持ちで育児に日々奮闘しているのでしょうか。3人男子の子育てをしているコミックエッセイストのtomekkoさんが、複雑な心境をつづってくれました。<3月8日の国際女性デーにあわせ、女性の生き方、働き方を考えるヒントになる記事を再配信します。(初出AERA dot.2023年7月15日)>
育児期の母親の憂鬱。
と聞くと、父親が育児をしない家庭で乳幼児のワンオペ育児をする母親を想像する方が多いのではないでしょうか。
もちろんそれも一つの大きな憂鬱。ただ、育児ってオムツやミルクの手がかかる乳幼児で終わりではないんですよね。やってあげることが減り、一見楽になったように見える小学生も、その先もまだまだ続くんです。
それともう一つ誤解されがちなのが、父親が育児参加する家庭にだって憂鬱ってあるんですよ。
こんなことを書くと、
「自分で望んで産んだくせに何が憂鬱だ」
「育児にも協力的な夫がいるのにまだ不満を持つなんて贅沢だ」
という声が飛んできそうですね。
でもね、子の可愛さ、愛おしさとストレスや焦燥感は同居するし、パートナーへの愛情や感謝とそれでも回らない生活への苛立ちも両立するのです。そして、親もまた一人の人間で、自分の人生を進む権利を持っているんです。
子育ては自ら望んでしていること。それでも自分の人生と3兄弟それぞれの人生への伴走を同時進行するって至難の業です。自分の人生でさえ3歩進んで2歩下がる毎日だというのに。子どもたちからもらうたくさんの幸せと引き換えに諦めた自分の時間は、子どもたちの安全や健康、将来のために行う意思決定やタスクで埋まっています。
ストレスを抱えるなというほうが無理というものですって。
次のページへしかし現実は…