「朋友に数(しばしば)すれば、斯(こ)れ疏(うと)んぜらる」(里仁第四)
孔子と弟子のやりとりの中には、友情の在り方について、「あまりしつこいと嫌われることになる」という言葉があります。もし息子さんがA君に対して自己主張して、「嫌い」と言われたのなら、「それならもう一緒には遊ばない」などと、あっさり交際を断るくらいがいいのではないでしょうか。「嫌い」と言われたのに、それでも遊ぶのなら、相手は息子さんを見下しばかにするようになっていくでしょう。
相談者さんがA君に身につけさせたい「順番を守ること」「ルールを守ること」。もちろんそれはある程度、正しいことでしょう。ですが、順番やルールを守ってさえいれば、相談者さんや息子さんは、幸せになれるのでしょうか。たとえば「年功序列」などというものは、過去のものです。実力がない人が、順番で上司になったりすると、会社や社会が混乱することが明らかになったから、ばかげた「年功序列」という「順番」は、淘汰されてしまいました。過去のルールを守っていればいいわけではないのです。私たちは、よりよい社会、よりよい人間になるために、勉強をして知識をアップデートし、人間関係を改善する努力をしているはずです。
相談者さんは、A君を「超ワガママ」、自分の息子は「優しい」などと言って、A君とその親を「悪」、息子さんと自分は「善」と判断していますが、相談者さんのその従来の価値観こそ、実は、本当の幸せを遠ざけるものかもしれません。
「果(か)なるかな、之(こ)れを難(かた)しとする末(な)し」(憲問第十四)
これは、孔子が、隠者(世捨て人)から「融通性のない性格だ。もう少し臨機応変に生きたらどうか」と批評されたときに返した言葉です。訳すと「果断で割り切って平気でいることができれば、世の中、難しいことはないだろう」という意味で、自分のふがいなさを吐露したのです。多くの弟子から慕われ、73歳で亡くなるときには「聖人」に祭り上げられていた孔子も、先輩たちからは疎まれ嫌われてきました。孔子は、孔子なりの方法で、幸せになるためのルールを決めて生きてきたのです。孔子自身、もっとあっさりと「果断」で「割り切った」性格の人になれたらと思っていたに違いありません。
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