父:こうやって改めて見てみると、読む人を楽しませようとしているのが、紙面から伝わってくるんですよね。「あれをした」「これをした」だけではなく、「矢部家の10大ニュース」を特集したり、投稿をお願いしたり。編集が入っているんです。やはりエンターテナーなんだなあと感じます。投稿も募集している(笑)。この頃から読者がいる、ということを考えていたんですね。
太郎:母がフルタイムで働いていたので、遊んだ思い出はやはりお父さんが多いんですよ。多摩川での土器の「野焼き」なんか、よく覚えてるよ。小学校高学年くらいの時かな。
父:僕は四谷で子供の造形教室を開いていまして、「野焼き合宿」もその一環だったんです。夏の行事としてね。教室で粘土をこねて、土器をつくり、それを多摩川の河原で焼くのです。まず、穴を掘ってそこに石を置くことから始める。窯などないので、それが窯の代わりになるのです。縄文式ですね(笑)。長時間焼かないとなりませんから、火の当番の子供はテントで夜通し見張りですよね。
太郎:お父さんが「火起こしからする!」というんで、やったんだけど、火がつかなくて。あれ結構難しい。最終的に新聞紙とマッチを使った気がする(笑)。
父:子供は原始人と同じだから、できるだけそういった体験をした方がいいと思ってね。テントで過ごした子なんかは、すごく変わりますよね。成長するというか、たくましくなる。今はやたら綺麗に育てているけど、大丈夫なんですかね。自分の五感や体を使って体験し、表現していく方が、僕なんかはいいと思うんだけど。
太郎:僕が突然お笑いの道に入った時は、どう思ったの? お父さんには事後報告だったけど……。
父:好きなことを見つけてほしいと思ってきたから、別にいいんじゃない、と。絵の道に進ませるために、造形遊びをさせていたわけではないからね。とにかく自己表現することが身につけばいい、と思っていた。お笑いが太郎の自己表現なんだな、と思っただけ。ただ、お笑いの頃は正直よくわかんなかった。
太郎:そんなこと言わないで! 20年やってますから。確かにお笑いの仕事で感想を言われたことはあまりないですね。でも、『大家さんと僕』の漫画が「小説新潮」に連載され始めると、いろんな人に配って、いただいた感想をまとめたと言って、その感想の一覧をメールで送ってくれるようになって。それも2日に1回くらい。メルマガみたいな感じで(笑)。途中で連載を何回か分まとめてコピーして、ホチキスで止めた薄い冊子を作って送ってくれたことがあって。自分でもそんな風にまとめて読んだことはなかったので、新鮮な気持ちになりました。そして裏表紙を見ると「やべみつのり」とサインがあって。まるでお父さんの本(笑)。でも、僕の漫画は、お父さんの紙芝居の影響がすごくあると思うよ。
次のページへ『大家さんと僕』は紙芝居にはできない