「麺や 七彩」店主の阪田博昭さん(筆者撮影)
「麺や 七彩」店主の阪田博昭さん(筆者撮影)

 こうして1999年、武蔵浦和に「むさし坊」がオープンする。当時は珍しかった鶏白湯(とりぱいたん)のスープを使い、化学調味料不使用で、麺には全粒粉を練りこんだ。和食やイタリアンなど今までの経験を生かした味作りとレストランレベルのサービスを取り入れ、オープン当初から話題のお店となった。周りのラーメン屋店主らから、売り上げは月300万円いけばいいところだと言われていたが、初月から500万円を突破。ピーク時は1200万円売り上げる人気店となった。雑誌やテレビにも多数紹介され、世話になった社長に恩返しもできた。

「むさし坊」が軌道に乗ったことで、阪田さんは藤井さんと2人で独立に向けて動き始める。中野区の都立家政にいい物件が見つかり、契約することにした。都立家政商店街は中野区で一番古い商店街で、年配のお客さんも多い場所だ。ここに合うラーメンをと考えて浮かんだのが、喜多方ラーメンだった。

「喜多方では有名店は朝から大行列で、年配のお客さんも多いのです。喜多方ラーメンの認知度は高いけれど、都内では『坂内』や『小法師』などのチェーン店はあっても、個人店はあまりない。『これならナンバーワンになれる!』とオープン3日前に決心して、必死に味作りをしました」(阪田さん)

 独立するときには、ゲン担ぎしようと吉方や開店時期などを占ってもらった。そのとき、2人に縁のある数字が2と7だと言われ、店名は「麺や 七彩」にした。「七彩」には何色にでも色が変わるという意味があり、2人のラーメンの多彩さを表した。オープン日も2007年2月7日と、2と7にこだわった跡が見える。宣伝や告知を特にしていなかったものの、なぜか初日から行列ができたという。

 ラーメンの主役は“麺”であると阪田さんは断言する。初めは製麺所に作ってもらっていたが、いつでも自家製麺に切り替えられるように準備をしていた。

「麺や 七彩」は打ち立て麺にこだわり続ける(筆者撮影)
「麺や 七彩」は打ち立て麺にこだわり続ける(筆者撮影)

「最初は資金がなくて、茹で麺機を買うことができませんでした。なので、ボウルで麺を茹でていたんです。100食限定で昼だけ営業して、夜に仕込みをしていました。少しずつお金を貯めて、徐々に機械をそろえていきました」(阪田さん)

 こだわりが功を奏して、「七彩」はこの年、業界最高権威といわれる「TRYラーメン大賞」の新人大賞を受賞する。ピーク時には50人以上が並び、3時間待ちということもあった。

 11年には東京駅の「東京ラーメンストリート」から出店依頼が入る。料理人として、他のラーメン職人に食材や製法などの大切さを伝えたいと考えていた阪田さんは、そのためにはとにかく注目されることが必要だと感じていた。「カプリチョーザ」時代に大きな店を回していた経験も、出店を後押しした。

 阪田さんにとっては願ってもいないチャンスだったが、一度出店を断った過去がある。なぜか。

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出店を断ったワケ