2008年6月8日事件当日18時頃の現場付近。報道陣が集まるなか、何が起こったか知らない通行人も多かった(photo/インベカヲリ★)
2008年6月8日事件当日18時頃の現場付近。報道陣が集まるなか、何が起こったか知らない通行人も多かった(photo/インベカヲリ★)

 東京・秋葉原で17人を無差別に殺傷した加藤智大死刑囚の死刑が執行された。『「死刑になりたくて、他人を殺しました」』の著者が、無差別殺傷と市民感情、社会について考えた。AERA 2022年8月29日号の記事から。

【写真】死刑が執行された7月の秋葉原の歩行者天国の様子

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 無差別殺傷事件が起こると、まず聞こえてくるのが「死刑」を望む声だ。小島に無期懲役の判決が下りた際も、ワイドショーやツイッターでは、コメンテーターを務めるタレントが「プロの裁判官の人たちは間違った判断をした」「生きている価値のない人間を一生私たちの血税で生きさせるなんて絶対反対」と発言した。「死刑になりたい」という犯行動機についても、SNSを中心に「一人で勝手に死ね」「誰も巻き込まずに死ね」などのコメントが散見される。犯人に与える罰として「同じ目に遭えばいい」や、「拷問が必要」という過激な投稿も読んだ。

 しかし、実際のところ、そうした言葉で一番ダメージを受けているのは我々のほうではないか。今そんなことを考えている。

■社会が生み出した問題

 今年5月、『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』を上梓した。殺人犯と直接かかわる各界の研究者など、10人のインタビュー集だ。意外にも取材した10人全員が、無差別殺傷犯という存在を受け入れている立場だった。

 例えば、聖イグナチオ教会助任司祭で教誨活動を行うハビエル・ガラルダ神父は、死刑囚と接することに心理的負担はないのかという私の質問に、「全然負担じゃない」「彼らと話していると、学ぶことが多いですよ」と答え、死刑囚に会うことを「友達に会いに行く」と表現した。また、宅間守ら数名の確定死刑囚と面談した公認心理師の長谷川博一氏は、殺人願望を持ったクライアントのカウンセリングも行っていると言い、無差別に誰かを傷つけたいと思うこと自体は「全然おかしくない」と語った。さらに、オウム真理教で行われたマインドコントロールを例に「インベさんも、オウムに捕まっていたら……と想像してみると怖いですよ」と言う。ハッとする私に、その意味では誰もが仲間かもしれないと考えることが大切だと説いた。元死刑囚である永山則夫の最後の面会者となった市原みちえ氏は、現代に起きる事件について「一番の問題は、政治」だとし、社会が生み出した問題だと語った。現在は、「第二の永山則夫を出さないでくれ」という永山の願いを後世に伝え、「すべての子どもが幸せに育つように」との思いで活動している。他にも、加藤智大の友人や、犯罪社会学の研究者などに話を聞いたが、彼らの存在そのものを拒絶したり、排除しようとしたりする人は一人もいなかった。

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