この記事の写真をすべて見る 安倍晋三元首相の銃撃事件は多くの人に衝撃を与えた。晋三氏の父方の系譜をたどった『安倍三代』の著者でジャーナリストの青木理さんとともに、「三代目世襲政治家・安倍晋三」の実像に迫った。AERA 2022年8月15-22日合併号の記事から紹介する。
【写真】旅館の庭園で孫の安倍寛信、晋三両氏とコイにえさをやる岸信介首相(当時)
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──安倍晋三氏の国葬に反対する意見の一つに、政治家としての評価が定まっていない、との指摘があります。晋三氏をどう評価していますか。
私は政治記者ではありませんから、晋三氏が政界をどう遊泳し、自らの政治姿勢をどう固めたかは知りません。ただ、政界入りするまでを知る何十人もの同級生、友人、恩師、上司、同僚らに会って話を聞くとひどく凡庸で飛び抜けたところのない「いい子」。たまたま名門世襲政治一家に生まれたお坊ちゃまにすぎず、そうでなければ政治家になることもなかったでしょう。実際、小学校から大学、そして“政略入社”した会社員時代を含め、彼が政治家を志すに至ったと捉え得るようなエピソードは皆無でした。『安倍三代』で描いた通り、祖父寛氏や父晋太郎氏にはエピソードが詰まっていましたが、取材を尽くしても晋三氏には一切ない。それどころか政界入りするまでの段階で、右とか左とかの以前の話として、彼の口から政治的な話を聞いた人自体が一人もいないのです。ある意味、ゾッとするほど空っぽでした。
■右傾化する時代の気配、風をとらえ巧みに乗った
──晋三氏は小中高、大学まで東京の成蹊学園でエスカレーター式に進学。就職も「政略入社」。政治家になった後も、右派政治家や宗教右派の神輿に乗ってきた人という印象があります。
彼自身がどう考えていたかはともかく、右派にとっては恰好(かっこう)の神輿(みこし)だったでしょう。私の取材に応じた妻昭恵氏は、夫が首相に上り詰めたことを「天のはかり」「天命」といった独特の表現で評してましたが、戦後日本の右派政治に大きな足跡を残した岸信介の孫という圧倒的ブランドをまとって名門政治一家に生を受けた彼を、政界内外の右派はプリンスとして育てた。ひょっとすれば彼自身、右傾化する時代の気配を読んでそれをあおり、巧みに乗った面もあったのかもしれません。