
■散るからこそより輝く
すべてが変化していく「もののあはれ」も、コロナ禍でより強く感じるようになりました。桜や藤が咲き誇って1週間後に散っていく。その姿を撮った「光の庭」では、手元にとどめておけないから、より輝く美しさを、いとおしさを持って表現しました。花だけでなく、ありとあらゆるものがそう。なくなってしまうことがわかっているから、美しさを感じる。それをより身近に感じた一年でした。
展示には女優や著名人を写した「I am me」、パラアスリートたちのポートレート「GO Journal」も加わる。テーマの幅広さは、自分の中でどのように統合されているのだろうか。
私自身はいつも、とんでもない勢いで走っている人間で、それが生活までなだれ込んで、常にダムが決壊している状態なんです。子どものころからそういう性質で、50歳を前により悪化しています。人生の経験値の積み重ねと、あと、人から吸収する分量が多い。成長したい欲がすごく強くて、360度からインプットしたいし、吸収率も高いと思います。

■価値観が変わった
そこには、焦りもあるんです。常に精一杯やってきてはいるけれど、何かをやり遂げた、という達成感は持っていない。今回の展覧会も一つの通過点だと思っています。ただ、どの時点でも「これ以上できない」というところまで、全力を尽くしたい。今は○○の時代だから、それを狙って発信したらいいだろう、という発想は私には皆無です。何に取り組むにも、自分にウソはつかない。自分がどれだけ好きになれるか。そこだけはめちゃ気を付けています。
クールなパラアスリートは、自身が監修を務めたフリーマガジン「GO Journal」で主に撮影したものだ。
日本財団パラリンピックサポートセンターから、数年前にパラリンピアンの撮影依頼をいただいた時、最初は小さな展覧会ができればいいという話だったんです。でも、興味のある方だけが観るのでは、アスリートたちが存在する意義が広がらないのではないか、と私から逆提案して、ファッション誌にシリーズを掲載しようと考えました。ただ、当時はどこものってくれなかった。だったら、自分たちでフリーペーパーを作ろう、と。フリーペーパーって、圧倒的なクオリティーでないと、手元に取っておいてもらえません。ただのゴミとして読み捨てられてしまったら、それがどれだけ罪深いことか。その緊張感はすごかった。

東京2020を経て、パラアスリートに対する価値観が変わりましたよね。その流れが変わっていくことを、間近で見た感はあります。私がやったことがプラスに作用しているといいなと思います。
東京2020組織委員会では理事の公職に就いていた。
公のプロジェクトに関わったことで、自分の立ち位置に対する認識は改まりました。