卒業式の日にたつひろ先生が黒板に描いてくれた絵。運動会の日に撮影したクラス写真が元になっている。/江利川さん提供
卒業式の日にたつひろ先生が黒板に描いてくれた絵。運動会の日に撮影したクラス写真が元になっている。/江利川さん提供

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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■学校行事で絆育った

 秋が少しずつ深まってきました。コロナ禍で行事が縮小されている学校もあると思いますが、本来ならさまざまなイベントが開催される時期です。

 今回は、足が不自由な息子が通った小学校の行事についての話です。

 学校では、3年生以降は毎年、宿泊行事に出かけることが恒例となっていました。3年生は江の島でカヌー、4年生は河口湖でハイキング、5年生は新潟で雪遊び、6年生は修学旅行で京都へ……。

 入学当初はどれも難しいような気がしていましたが、結果的に息子は、みんなと同じ日程で全てに参加することができました。年度を重ねるごとに私が付き添う回数は減っていき、その分、いつも側にいてくれたクラスの仲間の絆が大きくなっていくのを感じていました。  

 6年生の修学旅行から帰って来た日、担任のたつひろ先生にお礼を伝えると、こんな言葉が返って来ました。

■決断をみんながリスペクト

「僕はなーんにもしていません(笑)。コウの周りにはいつも班の仲間がいて、階段を上がる時には自然とコウの前と後ろに付くんですよ。班が違う子もササッと来て荷物を持ったりして、それがもう彼らには当たり前なんですよね。本当に良い奴らですよ」

 修学旅行では、トータルでかなりの距離を移動しましたが、息子は黙々と歩き続けたそうです。私と二人なら車椅子を使う場面でも、信頼できる友人たちと息子のプライドがいい形でリンクして、最後まで歩けたのだと思いました。

 さらにその翌月には、6年生全体で鎌倉めぐりに出かけました。たつひろ先生は、この時はクラスを副担任に任せ、息子のバディを申し出てくれた親友くんと共に、息子のペースに合わせて学年の最後を歩いて下さいました。

 親友くんがバディとして息子に付くことにより、クラスの他の友達と過ごす時間が減ってしまうため、先生は本当にそうするべきかと考えたそうです。でも、息子と行くと言ってくれた彼をみんながリスペクトし、良い雰囲気の中で決まったとのことでした。

「かなりドロドロな急斜面があったのですが、『大丈夫だから』と言って僕が手を出すと、真っすぐに信頼して掴まってくれるんです。バディにはこの信頼関係って一番大切じゃないですか? ○○(親友くん)も本当に優しいヤツで、とにかく自然なんですよ。ふたりは自然に信頼し合っていて、コウが動きやすい位置をちゃんと理解して、コウはそれを当たり前と思わず、ありがとうと伝える。大人が教えなくてもちゃんと全部わかっているんです。子どもの世界ってすごいですね」

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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6年生の運動会で起こした奇跡