東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 五輪開会式は悲惨だった。直前のトラブルの話である。

 開会式の9日前、7月14日に楽曲をミュージシャンの小山田圭吾氏が担当することが発表されると、すぐに過去の「障害者いじめ自慢」がネットで拡散され炎上。批判が集まり19日には辞任に追い込まれた。2日後には今度は演出担当の小林賢太郎氏に過去のコントでの「ホロコーストネタ」疑惑が発生、翌22日に開会式前日にもかかわらず解任という前代未聞の事態となった。

 さらに28日には週刊文春電子版が、制作メンバーがいくども変わり、迷走を重ねた内幕を詳報した。記事では失われた開会式案も紹介されているが、個人的な印象では実現したショーよりもかなりレベルが高い。しかし政治家とIOCの横槍(やり)に潰され、力のある参加者は次々離れていった。読むと直前のトラブルも必然だったように思えてくる。制作チームに介入し混乱を引き起こした電通およびそれを放置した組織委員会の責任はじつに大きい。

 本稿執筆現在、マスコミとネットの雰囲気は一変し五輪応援の機運が高まっている。そのせいで前記トラブルも忘れ去られた印象があるが、開閉会式の予算は165億円で、歴代最高といわれる。負担は最終的に国民と都民に回される。それほどの巨額に値する公正な運営体制だったのか、予算は適正に支出されたのか、厳正な検証が必要だろう。業界人の私物化が許される規模ではない。野党とマスコミの五輪後の追及に期待したい。

 それにしても、開会式のゴタゴタを見て感じたのは、ひとことでいえば「国力」が落ちたということである。五輪開会式は国の威信を懸けたショーだ。批判はあろうが現実としてそう機能している。それなのに日本は一流のスタッフすら揃(そろ)えることができない。世界レベルのクリエーターやアーティストは山ほどいるのに、彼らは国に手を貸してくれないのだ。

 コロナ禍が始まってこの1年半、国家と国民の絆が壊れるのをずっと見続けてきたという気がする。開会式の迷走にも同じ崩壊を感じた。筆者はナショナリストではないが、国民が国家を信頼できる国のほうがやはり幸せだと思う。

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2021年8月9日号

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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