ミャンマー「クーデター」は必然だった 新憲法とロヒンギャ問題から読み解く (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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ミャンマー「クーデター」は必然だった 新憲法とロヒンギャ問題から読み解く

木村元彦AERA
アウンサンスーチー氏が拘束された日、通りで旗を掲げるミャンマー国軍の支持者たち/2月1日、ミャンマーのヤンゴンで(gettyimages)

アウンサンスーチー氏が拘束された日、通りで旗を掲げるミャンマー国軍の支持者たち/2月1日、ミャンマーのヤンゴンで(gettyimages)

AERA 2021年2月15日号より

AERA 2021年2月15日号より

AERA 2021年2月15日号より

AERA 2021年2月15日号より

 ミャンマーの民主化の象徴だったアウンサンスーチー氏が国軍に拘束された。2008年に制定された憲法やロヒンギャ問題を読み解けば、これは必然の流れだった。AERA 2021年2月15日号から。

【NLD政権と国軍の対立構図はこちら】

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 1948年に英国からビルマ連邦として独立して以来、ミャンマーでは過去に2度の軍事クーデターが起こった。

 一つ目はビルマ建国の父アウンサン(アウンサンスーチー氏の実父)とともに「三十人の志士」グループの一員として独立運動を闘ったネ・ウイン将軍が1962年3月2日にウー・ヌ初代首相を倒し、ビルマ社会主義計画党(BSPP)を建党して、自身が大統領になった事件。

 次は1988年にそのネ・ウイン将軍がいわゆる8888民主化運動によって退陣に追い込まれた直後に、ソウ・マウン国軍参謀総長が国家法秩序回復評議会(SLORC)を立ち上げて民主化勢力を徹底的に弾圧して実権を握ったものである。2回とも軍人が主導したことは論をまたないが、今回、2月1日に起きたことはこの二つのクーデターとは様相が異なる。そのプロセスを吟味すると、いかに緻密に計画的に準備されたかが明確になる。ある意味で勃発は十分に予測できたとも言えよう。

 端緒は、スーチー氏が軍事政権による軟禁から解放される2010年の2年前。08年に制定されたミャンマー新憲法にすべてが集約されている。同憲法には「国会議員の定数の25%は国軍最高司令官の指名による」と実質的に明記されており、文民統制どころか、本来行政に帰属する軍が立法府である国会に大きな影響力を持つことが前提だ。そして副大統領は3人だが、これもあらかじめ軍人枠が確保されている。3人のうちの2人は選挙で選出された議員ということで当然与党の議員となるが、残りの椅子は国軍出身者が占める連邦団結発展党(USDP)の枠となっていた。さらに非常事態が宣言されると、司法、立法、行政の三権は統合されて、合法的に国軍最高司令官に全権が委譲されることになっている。


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