しかし10カ月後、登録していた人材派遣会社が二重派遣で摘発される。このため家賃が払えなくなり、実家に戻った。間もなく、国民年金の未払いの督促状が実家に届く。これを機に、松谷さんは別の人材派遣会社に登録。ここから、松谷さんの新たな挑戦と挫折の日々が始まった。

 最初に斡旋された仕事は、工場で自転車のボディーに模様を貼り付ける作業。体力が続かず、仕事の効率が悪いと自覚していた。3カ月後に「来週からは行かないでください」と派遣会社の担当者に告げられた。

 次に斡旋されたのは、ノート型パソコンのふたの検査業務だ。ベルトコンベヤーで流れてくる商品を目視でチェックする。何度も不良品を見逃して注意を受けたが、雇用は継続してもらっていた。1年近く働いたが、ここも2008年9月のリーマン・ショックの余波に伴う人員削減を機に辞職した。

 ほかにも、斡旋されるままにさまざまな職場で働いた。スーパーのレジは大の苦手で、仕事に就いて30分ほどで帰された。パソコンのデータ入力は、座っていると眠くなるため誤入力が相次ぎ、これも長続きしなかった。

「気持ちはわかるかな」と思って始めた知的障害者施設の補助スタッフの仕事は、軽作業の手際が悪く、入所者にかえって迷惑をかけることになり、2カ月で辞めた。

 アルバイト清掃員の仕事は、「大変そうな現場に身を置けば自分でも気づかなかった能力を開花させられるかもしれない」と考え、応募した。広大な大学病院内の床やトイレ、風呂の清掃を1人で担当させられた。へとへとになって終えると、指導係の人が不備を逐一指摘する。3カ月間耐えたが、最後は「どうやったら完璧にできるかわかりません」と泣きながら訴えて辞めた。

 松谷さんは、どの職場でも作業のスピードが遅いため、たびたび指導を受けた。仕事をこなせている実感を得られないまま、賃金をもらうことに罪悪感すら覚えた。それでもめげずに、自分に向いている仕事は何だろうか、と松谷さんは果敢にさまざまな職場をわたり歩いた。勤務地は関東一円に及んだ。

 ケーキの大きさを測る、いちごのへた取り、商品の梱包、箱の組み立て……できるだけ簡単そうな軽作業を選んだが、手順が覚えられず失敗を繰り返した。職場の先輩格の人に「早くしなさい」とはっぱをかけられると、余計ミスが増えた。早くしなきゃと思うが、焦るとどんどんミスが重なるのだ。周囲はあきれて何も言わなくなり、雇用者からは「明日から来なくていい」と宣告されるパターンが続いた。

「これだけやって、うまくいかないのは何かおかしい」

 そう考え、ものすごく簡単な仕事をしてみることにした。化粧品のサンプルを袋に入れるだけの仕事だった。しかしこれも、作業のスピードが遅く、担当から外された。そのときのショックは一段と大きかったという。

 職場を転々としながらも、働くことをやめなかった松谷さんはその当時、50万円ほど貯金がたまっていることに気付いた。自分を救うために何か始められないか―。そんな思いでネット検索していると、「脳を鍛える」という宣伝コピーが目に付いた。2011年1月から通い始めたヨガ教室が、松谷さんの運命を好転させる補助輪になる。

 ヨガの先生は、仕事を転々とする日々の辛さを泣きながら打ち明けると、静かに耳を傾けてくれた。年上の同性で頼りがいもあるヨガの先生は、リアル社会で初めて松谷さんの心の支えになった。ヨガもみるみる上達した。

 2011年3月の東日本大震災後は、新しく登録した派遣会社の仕事もしばらく途切れがちになった。松谷さんはその間も、情報誌で日雇いや短期アルバイトの仕事を自分で探し、新たな職を求め続けた。

次のページ
今のアルバイト先が長続きしている訳は