

胸を染め抜く太いアルファベットはかつて中高生の憧れだった。PL学園と聞けば、昭和世代にとっては高校野球ファンでなくともピンとくる甲子園の常連校である。
だが、この強豪PL学園野球部は、部内で根深い暴力問題が露呈し、2016年夏をもって活動停止となった。以来3年、廃部同然の状態が続いているが、そのPL野球部の名前がまたスポーツ紙に躍り出た。OBチームがマスターズ甲子園大阪府予選を勝ち進んだのだ。野球部の復活を望んで集まったOB有志である。
マスターズ甲子園大阪府予選の代表決定戦があったのは、8月最後の土曜日。トンボが舞う大阪花園球場のマウンドに、あの桑田真澄さん(51)が立った。桑田さんは先発し、一回を無失点に抑えると二回は遊撃に回り、華麗な守りを見せた。そして、卒業生やファンが声援を送るなか、PLチームが11−5で対戦相手(春日丘)を下し、11月9日に甲子園で行われる全国大会出場を決めたのだ。
マスターズ甲子園は、神戸大学人間科学部の長ケ原誠教授のもと、2004年に発足した生涯スポーツ競技だ。41都道府県653校のOBチームが参加する。地方大会やブロック大会をトーナメント戦で勝ち上がった16校が、憧れの甲子園球場で試合をする。
この代表決定戦終了後、桑田さんの囲み取材では、廃部状態にあるPL野球部について話が及んだ。その質問をされると、ユニフォームを着ての思い、校歌を歌っての感慨などの問いに穏やかに答えていた桑田さんの表情が、一瞬、改まった。
「はっきり言います。野球部は廃部になってはいません。休部です。そこは間違わないでほしい」
「廃部ではなく休部」と2度繰り返したその顔はきっぱりとしていた。そこから伝わってきたのは、「僕らは本気で野球部の復活を願っている」という桑田さんの強い思いだった。
だが、OB会の思いでPL野球部の復活が実現できるほど単純なものではない。マスターズ甲子園にOBたちが出場したからと言って、復活につながるかはわからない。にもかかわらず、11月のマスターズ甲子園全国大会では、OBたちがかつて応援スタンドを埋め尽くしたPL学園名物の「人文字」をはじめ、ブラスバンドや応援団を再現するという。