海外で暮らすなら「できれば1年は日本人のいないところで」と話すモーリーさんに「シカゴの日本人コミュニティーに入って日本語を覚えた」とジェイソンさん(撮影/慎芝賢)
海外で暮らすなら「できれば1年は日本人のいないところで」と話すモーリーさんに「シカゴの日本人コミュニティーに入って日本語を覚えた」とジェイソンさん(撮影/慎芝賢)
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 外国語として日本語を学んだジェイソンさんと、幼少期から日米を行き来したモーリーさん。日米の言語や文化を知る2人が、異文化との接し方と外国語学習の秘訣を語る。

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厚切りジェイソン:僕はアメリカで生まれ育ち、19歳のときに日本に1年間留学して、25歳からは日本で暮らしています。モーリーさんは?

モーリー・ロバートソン:僕は母が日本人で父がアメリカ人。アメリカで生まれ、幼稚園ぐらいの頃に父の仕事の都合で広島市に引っ越しました。最初はアメリカンスクールに通っていましたが、小学5年生のとき地元の公立小学校に転校したんです。

ジェイソン:日本語は大丈夫でした?

モーリー:言葉以上に考え方や文化の違いが大変でした。思ったことをそのまま主張すると、「とんがっている」と思われてしまう。調和を乱さないよう、主張を弱めました。
ジェイソン 僕が今、そうかもしれない(笑)。

モーリー:半年くらいしたら周囲にもなじんで、「生徒会長の選挙に出たら」と言われ、Why not?(いいじゃない)と出馬したら圧勝したんです。みんなに認められたことがうれしくていっそう「日本人らしくしなければ」と思い、中学生になるころにはとても日本人らしくなりました。そうしたらまた中学2年生でアメリカに行くことになったんです。Oh,it was traumatic(トラウマになるほどでした)。

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