上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。現代人だから楽しめるフェルメールの魅力を、作家でキュレーター経験のある原田マハさんがおしえてくれた。
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「できれば一晩ここに、泊まっていきたいくらい」
作家の原田マハさんは、展覧会場の作品を前に、そう言ってため息をついた。アンリ・ルソーやピカソの名画を題材にしたアートにまつわる小説で知られ、かつてキュレーターとして美術館勤務の経験を持つ原田さんにそう言わしめたのは、開催中の「フェルメール展」だ。たった35点だけが残るとされるフェルメール作品のうち、国内美術展史上最多の、のべ9点もの作品に「上野の森美術館」で会える。
「ここ数年、小説の題材として興味を持って世界各地でフェルメールを見て回っています。彼はゲームチェンジャー。どんな展覧会でもコレクションでも、フェルメール作品が出てきたとたん、がらっと流れが変わる。美術史のなかでも、クールベ、ドラクロワ、ゴッホ、モネ、ピカソなどと並ぶゲームチェンジャーの一人だと思います」
どれだけフェルメールがユニークだったのか。何より語るのは、その作品だ。例えば「手紙を書く婦人と召使い」。さまざまな解釈があるが、原田さんはこう見ている。誰かから来た手紙を画面下に投げ捨て、イライラしながら返事を書いている婦人。そして婦人から見えないのをいいことに、うんざり顔を見せている呼びつけられた召使。
「婦人がイラついて、わーっと書いている手紙の筆圧までが伝わってくるようです。絵でありながら、一連のドラマをムービーで見せてくれるような、そんな見事な一枚だと思います」
ほかにも「牛乳を注ぐ女」のミルクの流れ落ち方、「手紙を書く女」や「赤い帽子の娘」のヒロインたちのイヤリングの揺れや毛皮のうごめきなど、フェルメールの作品には、そんな時間の流れが見えるものが多い。
印象派が登場するまでの絵画は、動いているものをどうやって止めて描くかが重要だった。永遠ではないものの時間を止めて、いかに2次元のなかに押し込められるかが画家の技量でもあったのだ。
「一方フェルメールがやったのは、逆のこと。動いているものを、動いているように描いた。現代では当たり前の表現ですが、17世紀においては、ずば抜けてユニークで、ずば抜けて新しい、当時の“現代アート”のような存在だったと思います」