そんな中、2008年に大きな流れがやってくる。「高校生クイズ」が、それまでの青春ストーリー的な路線から真逆の「知力の甲子園」という路線を取るようになった。この時代に、高校クイズ研究会で力をつけロスジェネ世代が作った大会で活躍していた高校生が集結した。

「そこでチャンピオンになったのが伊沢拓司や水上颯で、開成高校が3連覇。札幌南高校の鈴木淳之介も輩出。これがいまの東大ブームの原点です」(大門)

 競技クイズは一大ムーブメントになっていたが、公式の組織は存在していなかった。そこで社会的地位の向上と普及を目的に16年12月に一般社団法人日本クイズ協会が設立。いま協会が一番力を入れているのは中高の部活動の支援だと代表理事の齊藤喜徳さん(52)は言う。

「クイズは囲碁や将棋のように全国高文連に入っている部活ではないので、部にしてもらえない学校もあり、大会で日本一になっても内申書に書いてもらえるわけでもない。そこで協会が各学校に案内を出し、保護者同意のもと学校の管理下で行う大会として作ったのが『ニュース・博識甲子園』です」

 さらに今年9月、協会主催の全年齢対象のリーグ戦も始まった。JQSグランプリシリーズ。初年度はトップリーグ30人、ミドルリーグ54人で入れ替え制で競う。リーグ戦の第1戦で1位を取ったのが前出の徳久さんだ。

 徳久さんがクイズをやるようになったきっかけは「クイズマジックアカデミー」というクイズゲームだった。ゲームセンターにいながら通信回線で人とも戦えるゲームで、全国に友人がいる状態に。大学はクイズ研究会ではなく、ワセダミステリクラブに入った。そんな時、クイズゲーマー向けの早押しクイズ大会「賢押杯」で優勝。早押しクイズは向いていると思った。クイズをやっていて一番楽しいのは、自分の古い記憶がかちっとかみ合って、答えを引きずり出せたときだと言う。

「深く潜って答えた方が楽しいし、自分が出題する時も人のそういうものを引きずり出したい」

 トップリーグただ1人の女性参加者で7位につける奥畑薫さん(47)は、「西のクイズ女王」との異名も持ち第1回「ノックアウト」の優勝者だ。実力は折り紙つきながら勝てず、「無冠の女王」と呼ばれた時期もあったが、年齢を重ねていい意味でメンタルが強くなったという。

 奥畑さんがクイズを本格的に始めるようになったきっかけは、高校3年生の時に放送された「第13回アメリカ横断ウルトラクイズ」だ。大学クイズ研究会の実力者たちがそろって予選を突破して屈指の名勝負を繰り広げ、立命館大学クイズソサエティーの長戸勇人さんが優勝した伝説の回だ。

「決定打でした。あの放送を見て影響を受けました」

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