「一時期捜してみようかなとも思ったんですけど、今はまだそのタイミングではないと考え、捜すのをやめている状態です。親父が今も元気なら、よかったね、僕も元気だよ、と会って話をしたいとは思いますけどね」

 子どもの頃は「ハーフ」という理由でいじめられた。

「もうそれはハーフとして生まれた者の宿命みたいなもの。ヤンキーの先輩からもいろいろいじられましたよ」(玉城氏)

 母子家庭で育ち、貧困も経験した。小学生時代、コザ(沖縄市)の「トタン長屋」に実母と初めて一緒に暮らせるようになった。玉城氏はこの時期、70年12月の「コザ暴動」を目の当たりにする。

 米兵車両による人身事故の処理に端を発して市民の反米感情が噴き出し、米国人の車両82台を炎上させたコザ暴動は、今も沖縄で語り継がれる現代史の断面だ。玉城氏は「ウチナーンチュの心のうちに閉じ込められた何かが爆発したように感じた」という。

■保革の「真ん中」に立つ

「ほんとに僕なんですか」

 翁長知事の死去から10日後の8月18日。沖縄県沖縄市内の事務所で、翁長氏の後継候補を決める「調整会議」の議長・照屋大河県議や新里米吉県議会議長と向き合った玉城氏は、こう切り出した。

 翁長知事が後継に玉城氏の名前を挙げた音声データを「2回聞いて確認した」と告げる新里議長の説明を受け、玉城氏は知事選立候補の腹を固めた。

 ただし、選挙態勢についてこう注文を付けた。

「前回翁長さんを応援した保守系の皆さんとつながりの深い方々がいないと、選挙は成り立ちません」

 4年前に自主投票だった公明党沖縄県本部は今回、知事選立候補を表明している前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)と「辺野古」の是非には触れない形で8月20日に早々と政策協定を結んだ。「オール沖縄」を支えた経済関係者の継続支援も一部不透明な状況だ。

 それでも玉城氏は、翁長氏の「指名」を重く受け止めている。

「(翁長知事とは)育ちは違いますが、目指していく方向は同じだと。そう考えていただき、僕の名前が出たんだと思うと、この上なく光栄なことだと感じています」

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保守政治家一家で育った翁長氏との“共通点”