パナソニックミュージアム「ものづくりイズム館」に並ぶキャラクター、ナショナル坊や。1950年代から長年活躍した(撮影/写真部・松永卓也)
パナソニックミュージアム「ものづくりイズム館」に並ぶキャラクター、ナショナル坊や。1950年代から長年活躍した(撮影/写真部・松永卓也)
図=AERA 2018年6月18日号より
図=AERA 2018年6月18日号より

 パナソニックは3月9日、全国紙や地方紙、業界紙を含めた全60紙の朝刊に、47都道府県すべて違う異色の新聞広告を一挙に掲載した。その舞台裏と反響を追った。

【写真】創業100周年の日、47都道府県それぞれに違う広告を載せた

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 地域と密着しながら歩んできた歴史を、「感謝」を伝える物語として展開する。ほぼ1年前に企画がスタートした時点で、スタッフ全員の頭の中にあったのは「もし、松下幸之助が今ここにいれば、節目の年に何をしたか」との問題意識だ。これを突き詰めた結果が、こうした広告展開となって実を結んだ。

 幸之助が100周年を迎えたなら、日本全国にいる顧客一人ひとりに感謝の手紙を送ろうとしたに違いない。それならせめて世帯ごとに届けられる新聞広告で思いを伝えたい。この発想を起点として練られた案が、47の都道府県ごとに組み立てられたオリジナルな広告だったのだ。

「志は買うけど不可能」

 基本方針こそ早い段階でまとまったものの、その実現可能性には最後まで「?」がついて回った。本当に都道府県ごとに異なるバージョンの新聞広告を制作できるのか。企業宣伝室から出されたアイデアに対する社内の反応は「志は買うけれども実際には絶対不可能。やれるもんならやってみろとまで言われました」と、企業宣伝室の山崎晋吾さんは振り返る。

 パナソニックぐらいの規模の企業ともなれば、それまでの社史編纂で集められた膨大な資料が残されている。幸之助が残したことばを元に、グループ会社のPHP研究所が何冊もの書籍を発刊してもいる。全国各地の支社や営業所、工場には、その地を訪れた際に幸之助が発したことばやエピソードなどが数多く記録されているだろう。

 それでも、広告制作のプロであれば「こんな企画を1年足らずで47もそろえるのは絶対に無理です」と断念したに違いない。

 なぜなら仮に格好のエピソードが見つかったとしても、それを表現するのにふさわしい過去のビジュアルを探し出すのは至難の業となるからだ。

 10人ほどのプロジェクトメンバーが全国各地の支店を訪ねるなど資料探しに奔走した。そして最終的には47のエピソードと、47の写真をきっちりそろえた。

 もちろん、すべての写真が文章にフィットしているかといえば、そう言い切れない部分もある。けれども最善を尽くして制作された異色の広告は、掲載後に想定外の反響を生んだ。

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