■親が「防波堤」になる限り、直視せずに済む「リスク」

「家族社会学」を専門とする吉原千賀・高千穂大学人間科学部准教授は、成人・高齢期のきょうだい関係を研究してきた。吉原さんはこう指摘する。

「成人期以降のきょうだいは『潜在的なサポート源』。近年は家族との同居率が低下し、一世帯あたりの子どもの数も減少してきました。未婚率も上昇し、頼れる存在としてのきょうだいの重要性は増してきています。ただし世知辛い世の中にあり、一方的に頼る・頼られるという関係性に陥ったときに、きょうだいがどうふるまうか。それが今後の課題になるでしょう」

 吉原さんは、「長寿の時代」には、きょうだいの関係性も「長期化」していくと指摘する。実は親よりも長い時を過ごす相手であり、少子化できょうだいの人数が少ない分、いい意味でも悪い意味でも、密度が濃い。

 一方のきょうだいは親元にいて、もう一方は親元から離れて暮らす場合、親元にいるほうは、主に次の二つの形態が考えられる。

結婚したきょうだいが、配偶者とともに実家に入る
・結婚をしていないきょうだいが、親との同居を続ける

 いま、年々増え続けているのは後者である。

 総務省の労働力調査によると、親と同居の壮年未婚者(35~44歳)は1980年の時点では39万人だったが、2014年には308万人に達したという。

 収入が低くて親と同居せざるを得ないという人たちの場合、親が亡くなれば、すぐに貧困状態に陥る可能性がある。その穴埋めをする役割が、
「サポート源」として期待されるきょうだいにまわってくるとしたら……。

 潜在的なリスクでありながら、親が「防波堤」になっているうちは直視せずに済む。それが現実として突きつけられるのは、親亡き後ということになる。

 たとえば夫婦間なら、相手のハプニングをカバーする役割を引き受けたとき、「自分が選んだ相手だから、仕方がない」と諦めがつくこともある。それに対してきょうだいは、生まれながらに与えられた、選びとれない相手というところが大きな違いだ。

 親に庇護されて「いまのところ大丈夫」なきょうだいの将来については、誰しも「いまのところ考えたくない」というのが本音だろう。(ノンフィクションライター・古川雅子)

※肩書などは新書出版時(2016年)のものです。