「チャレンジし続ける姿勢に注目していた。挑戦する彼を応援することで私も元気になれる」。

 栗城さんは、自らの挑戦を積極的に発信することで、若い世代を中心に多くの人を惹きつけた。

 一方で、栗城さんのスタイルには批判もつきまとった。常に「単独・無酸素」を信条としたが、本来の意味での「単独・無酸素」には当てはまらない部分もあった。「単独」登山を、ある登山家はこう定義する。

「単独登山とは本来、ベースキャンプを出発してから第三者の支援を一切受けずに登頂し、ベースキャンプまで帰還することです」

 しかし栗城さんの登山では、撮影班がすぐ近くを移動するなど、いわば見守られている状態だった。過去には自身のブログで、隊のシェルパ(ヒマラヤ登山のガイド役)が途中までルート工作したことも明かしている(記事は削除済み)。

 また、登山計画も実現可能性に欠けるものだった。

 今回栗城さんが挑んでいたエベレスト南西壁について、「登山界のアカデミー賞」ともいわれるピオレ・ドール賞を2009年に日本人として初受賞した登山家の天野和明さんはこう語る。

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